山口県山口市 周布政之助墓所

第一次長州征伐長州藩は窮地となり、
これによって俗論党政権が誕生すると、
周布政之助は罷免されてしまいます。
その頃周布は吉富家に滞在していましたが、
その意気消沈ぶりはすさまじく、
何度も自裁を口にしていたという。
吉富家の主人吉富藤兵衛(簡一)は、
周布が早まらないように注意し、
刃物を隠したり監視したりしていましたが、
周布は隠し持った短刀で自刃。… 続きを読む

山口県山口市 吉富簡一旧宅

吉富簡一矢原村大庄屋でしたが、
幼馴染の井上聞多の影響により、
攘夷戦の費用を献金した他、
正義派の支援を積極的に行っています。
高杉晋作が挙兵して内訌戦が始まると、
軍資金を供出した他に自ら鴻城軍を組織。… 続きを読む

下関市細江町 光明寺/伊東禎三祐久墓

光明寺墓地にある奇兵隊士の墓。


奇兵隊伊東禎三祐久墓」。
奇兵隊士伊東禎三の墓。
小倉城を自焼させた小倉藩は、
香春に本陣を置いて防戦を構えを見せ、
秋月街道の要所金辺峠を固めると共に、… 続きを読む

下関市岬之町 三百目橋跡

下関市岬之町観音崎町の間に、
北へと延びる通りがあります。
この通りは通称三百目通りと呼ばれ、
江戸期は谷川が流れていたという。
現在は地下河川となっているようで、
川の上に道路が出来ていますが、
江戸期はこの道が川でした。

この川の為に東西の行き来が不便だった為、
油屋仁左衛という商人が橋の建設を願い、
長府藩に… 続きを読む

山口県美祢市 丸山招魂場

丸山招魂場は美祢市伊佐町の丸山にあり、
伊佐周辺出身の戦死者を招魂しています。


丸山招魂場」。
丸山招魂場の設立時期は不明ながら、
禁門の変から大東亜戦争まで、
伊佐周辺の戦死者の招魂墓が並びます。
その数は正確に数えていませんが、
ざっと見て200柱以上はある模様。
半数は大東亜戦争の戦死者でした。

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