椎田宿は中津街道の宿場町でしたが、
並びに築城郡の中心地でもあり、
小倉藩が築城郡を支配する郡屋を置き、
商業も盛んで賑わいを魅せていたという。
築上郡築上町椎田周辺。緑の線が街道筋で、
赤丸で囲んだ辺りが宿場のあった場所。
「椎田宿跡」。
ある程度の古い家屋が残っており、
往時の雰囲気を残しているようです。
文化7年(1810)には伊能忠敬も椎田を訪れ、… 続きを読む
「福岡県」カテゴリーアーカイブ
福岡県豊前市 松江宿跡
松江宿は中津街道の宿場町で、
読み方は「まつえ」ではなく「しょうえ」。
小倉藩領の宿場町であり、
人家150軒の多くは漁師や農民だったという。
豊前市四郎丸周辺。緑の線が街道筋で、
赤丸で囲んだ辺りが宿場のあった場所。
「松江宿跡」。
街道筋は民家が立ち並んでいるだけで、
見るべきところもないようです。
宿場の北方の台地は… 続きを読む
福岡県豊津市 八屋宿跡
八屋宿は宿場ながら寂れた場所だったようで、
江戸中期の名古屋商人菱屋平七の旅日記では、
「町屋に商家もあれど屋並のさま、
きたなげにて、宿屋・茶屋もなく、
ただうどん屋一軒あるのみ」と記され、
享和2年(1802)の八屋の寂れた様子が伺えます。
江戸後期となって宇島湊が築港され、
また求菩提山への修験者も集まるようになり、
急激に賑わいを魅せたようです。… 続きを読む
大分県中津市 自性寺/奥平昌猷墓所
参勤交代制度があった事や、
隠居後も江戸で生活を送っていた為、
中津藩の藩主の殆どは江戸で死去。
遺骸は品川区の清光院に葬られ、
国許に墓は建てられませんでしたが、
7代藩主奥平昌猷は唯一領内で死亡し、
中津で葬儀が行われて自性寺に葬られました。
自性寺は奥平藩歴代の菩提寺で臨済宗の寺院。… 続きを読む
大分県中津市 中津宿
中津宿は中津街道の終点であり、
日田中津往還、日向街道の始点。
また中津藩10万石のお膝元であり、
商人の出入りも多く賑やかであったという。
中津城下周辺。緑の線が中津街道、
青い線が日田中津往還で、
赤い線が日向街道。赤丸辺りが宿場です。
「小倉口」。
中津城下外堀西南隅の入口で、
小倉… 続きを読む