久坂玄瑞」タグアーカイブ

下関市細江町 光明寺

光明寺は延徳年間(1489-1492)に、
真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、
西市に御堂を建立した事に始まるとされ、
その後は内日幡生へと移転して、
享保17年(1732)に現在地に移転したという。


光明寺」。
大東亜戦争続きを読む

大阪府大阪市 長州藩大坂蔵屋敷跡

江戸時代中之島土佐堀南岸には、
諸藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、
各地の米や物産が集められています。
大坂天下の台所として賑わっており、
全国諸藩の蔵屋敷の数は、
最大で124軒にも及んだという。


大坂市中之島周辺(長州藩蔵屋敷跡の場所)
赤線が長州藩蔵屋敷のあった場所。… 続きを読む

山口県萩市 薩長土連合密儀之處

松陰神社の駐車場の脇に、
薩摩藩士長州藩士土佐藩士が集まり、
連合について密議した場所の碑が建っています。


薩長土連合密儀之處」。
ここは鈴木勘蔵の営む旅宿があった場所で、
文久2年正月14日。
武市瑞山の書簡を携えた… 続きを読む

京都府京都市 霊明神社

霊山護國神社南隣にある霊明神社
実はこの霊明神社は霊山護國神社の元祖であり、
招魂社という意味では下関の桜山神社より古い。
※桜山神社は国事に殉難した者を、
 皆で祀る最古の招魂場。


清末藩出身の儒者で勤皇志士の船越清蔵は、
京都等で尊皇攘夷運動を展開。
久坂玄瑞などとも懇意となっていましたが、
安政の大獄により身の危険を感じた為、… 続きを読む

今更ながら涙袖帖⑧

///////⑧

(20)元治元年3月25日(山口より)
たびたびふみ下されまづまづささはりなくよし
安心いたし候拙者も去十九日御用ありて山口まで
かへり候御あんもし下さるべく頼参らせ候せつかく
の事ゆえ御先祖様の御はか参をもいたしたく候得とも
このたびはいそぎの事といひかつまた水戸のひとなど… 続きを読む