奇兵隊」タグアーカイブ

カエルを食べたかった晋作

高杉晋作の好物といえば「」。
妻のや愛人のうのが、
鯛のあら煮長州鮨鯛の刺身鯛の塩煮など、
鯛に関するものを挙げていますので、
相当鯛が好きだったと想像できます。

自筆の日記や手紙などが多く残されている晋作ですが、… 続きを読む

島根県大田市 石見銀山

大森代官所界隈、武家屋敷界隈を過ぎ、
銀山方面に向かいます。


五百羅漢」。
大森代官所の同心であった中場定政が、
代官所の祈願寺である観世音寺へ参詣し、
そこの石像十六羅漢を拝んで、
五百躯の羅漢を安置したらさぞ壮観であろう
と住職… 続きを読む

下関市吉田 東行庵の手栽の碑

晴天の休みの日。
色々と史跡を訪問したりしたいのですが、
先立つものが無ければ遠くに行けない。
そこで久々に東行庵に行ってみました。


東行庵」。
東行庵は、いつ行っても季節の花々が咲いています。


東行池には錦鯉が泳いでいますので、
子供達も退屈じゃない。


高杉晋作像」。
久々ですがまだまだピカピカですね。
変な言い方ですが、早く劣化しないかなって思う。
銅像は… 続きを読む

山縣の結婚式の日に晋作が危篤となる

慶応3年4月。山縣狂介(有朋)は、
湯玉の庄屋石川良平の長女お友と婚礼を行いました。
※石川良平は後に下関市長となっています。

婚礼は4月11日より始まり、
12日には宴が開かれました。
婚礼の場所は正確には判っていませんが、
下関でも吉田でも無い場所なので、
石川良平宅ではないかと思われます。

その石川良平宅の場所はイマイチよくわからない。

豊浦町史二「宇賀の今昔」に地図が載っていますが、
このあたりというだけしかわかりません。… 続きを読む

光明寺党の最初の宿泊地はどこ??

白石正一郎日記には、
文久3年4月27日昼。久坂玄瑞率いる30人余の志士が来て、
竹崎の長泉寺に宿泊したいというので、
取り計らったと記されてます。
久坂ら志士達は5月4日まで長泉寺に宿泊し、
細江の光明寺へ転陣しました。この連中が光明寺党

彼等は攘夷戦の急先鋒となるわけですが、
結果は御存じのとおり。

光明寺党は奇兵隊の前身として紹介される事が多く、… 続きを読む