福岡県」カテゴリーアーカイブ

福岡県北九州市 宗玄寺/小笠原家老家墓所

小倉にある曹洞宗の寺院宗玄寺は、
元々小笠原宗家初代小笠原秀政により、
信濃国松本に創建した寺院。
※始め臨済寺と称していましたが、
 秀政の死後に宗玄寺に改めています。

小笠原家の小倉藩転封に伴ない、
小倉城下の… 続きを読む

福岡県北九州市 甲宗八幡神社

甲宗八幡神社は門司にある神社で、
宇佐神宮より八幡神岩清水に分祀する際、
門司関で瑞兆が起こった為、
これを喜んだ清和天皇の勅願により、
八幡神が分祀されて創建。
神功皇后着用の甲冑が奉斎されたという。

壇ノ浦の戦いの際は… 続きを読む

福岡県北九州市 隠蓑安徳天皇御陵

古今東西どこにでも生存説があります。
悲劇的な死を遂げた人物や英雄達が、
どこかで生きていて欲しいとする願望が、
民衆の間で根付く事はよくある話。
源義経ジンギスカンになった説や、
明智光秀南光坊天海になった説。
真田幸村西郷隆盛等も生存説があって、… 続きを読む

福岡県北九州市 田野浦

田野浦は古くからの港町。
関門海峡潮待ちの港として、
北前船の寄港が増加するようになると、
門司をも陵駕する繁栄を魅せたという。


門司区田野浦周辺。
埋め立てで海岸線は変わっており、
往時の集落は陸封されています。


田野浦港」。
かつての浦は田野浦埠頭で覆われて、
河口のような船溜まりとなっています。… 続きを読む

福岡県柳川市 天叟寺/高橋紹運墓所

柳河藩初代藩主立花宗茂の実父高橋紹運は、
岩屋城の戦いにおいて僅か7百余の兵力で、
2~5万の島津勢を相手に奮戦し、
半月もの間足止めさせています。
紹運以下の将兵は全員討死しますが、
島津勢の攻勢は鈍化してしまい、
島津家の九州制覇の野望は崩れ去りました。


天叟寺」。… 続きを読む