興隆寺は推古天皇の時代(593-628)に、
百済より渡来した琳聖太子が建立した寺院。
琳聖太子は百済の王族(聖明王第3王子)で、
周防大内氏の祖とされています。
※諸説あり。
大内氏が隆盛する頃には同様に栄え、
氷上山全域に僧房や堂宇が建ち並びますが、
大内氏滅亡後に毛利家の庇護を得るも、… 続きを読む
山口県山口市 興隆寺妙見社
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興隆寺は推古天皇の時代(593-628)に、
百済より渡来した琳聖太子が建立した寺院。
琳聖太子は百済の王族(聖明王第3王子)で、
周防大内氏の祖とされています。
※諸説あり。
大内氏が隆盛する頃には同様に栄え、
氷上山全域に僧房や堂宇が建ち並びますが、
大内氏滅亡後に毛利家の庇護を得るも、… 続きを読む
大内氏館は大内家9代当主大内弘世以降、
山口を本拠とした際に建設され、
代々大内家当主が居住しており、
毛利家の山口侵攻まで使用された居館。
弘世は京都に模して山口の街並みを創り、
その居館を将軍邸宅を模して建設しました。
「… 続きを読む
高嶺城は戦国時代に築城された山城。
大内氏が山口を本拠とした際に、
京都を模した山口の街並みを構築しますが、
この為に要塞的な城は築かれず、
街の中心に居館が建てられていました。
大内氏は最盛期には中国… 続きを読む
正護寺は山口市陶にある臨済宗寺院。
延文年間(1356-1361)に陶弘政が建立し、
陶家の祈願所となっていましたが、
陶氏滅亡と共に荒廃しました。
これを大円恵満和尚が嘆き、
陶氏居館があった場所に再建。
元々は曹洞宗だったようですが、
再建の際に臨済宗となったようです。
「… 続きを読む
国司家6代当主国司元武は、
父国司元相の隠居により家督を継ぎ、
毛利家五奉行のひとりとして活躍。
毛利輝元の守役も務めており、
輝元より絶大な信頼を得ていたという。
息子の早世で跡取りが居なかった為、
弟の国司元蔵に家督を譲りますが、
隠居後も朝鮮出兵… 続きを読む
山口市小鯖にある泰雲寺。
ここに益田七内の五輪塔があります。
「正通院殿要甫紹玄居士」。
問田深野の領主益田七内の墓で、
若殿の守役を務めていたようですが、
泰雲寺で乗馬の稽古をしていた際に、
若殿を落馬させて… 続きを読む
タイトルを益田景祥墓所としましたが、
墓所を見つける事が出来ませんでしたので、
タイトル詐欺のようになっています。
僅かなネットの情報によると、
下地図の青丸で囲んだ辺りのあるようです。
山口市仁保下郷周辺。
青丸辺りに景祥の墓があるという。
景祥は須佐益田家20代益田元祥の二男で、
はじめ筑後の豪族宗像氏… 続きを読む