川棚川を遡った上流付近に虚無僧墓があります。
天保年間頃に一人の虚無僧が住み着いて、
尺八を吹く以外は酒ばかり飲んでいたという。
そんな虚無僧を村人達は敬遠していましたが、
ある日、村娘が山賊に襲われた際には、
その虚無僧が奮起して娘を無事に救い出し、
村人に感謝されたようです。
ところが後の弘化3年(1846)8月15日の朝、
頭を抱えて唸っていた虚無僧は、
川棚川の河原に走り出したかと思うと、
大きな岩に頭を二度三度ぶつけて倒れ、… 続きを読む
「[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ
下関市長府 本覚寺/菊舎とさつの墓所
本覚寺は浄土宗の寺院。
創建は不明ですが元々は土肥山の麓にあり、
称念寺を称していたようですが、
文亀元年(1501)に現在地に移転し、
明暦3年(1657)に本覚寺と改称しました。
長府の街道筋は乃木さん通りと呼ばれ、
商店の並ぶ商店街となっていますが、
中之町から金屋町の通り沿い西側には、… 続きを読む
下関市長府 狩野芳崖宅跡
近代日本画の父とされる狩野芳崖の旧宅跡が、
田上菊舎宅跡の北側にあります。
「狩野芳崖宅跡」。
旧街道よりひとつ西側の路地。
残念ながら空地となっていますが、
隣には古い家屋が残っています。
芳崖は長府藩御用絵師狩野晴皐の家に生まれ、
幼少時より画道に励んで才能を発揮し、
江戸へ出て木挽町狩野家… 続きを読む
下関市長府 田上菊舎史跡
田上菊舎は江戸後期の女流俳人。
菊舎は文政9年に死去しており、
その生涯は幕末には至っていませんので、
今まで触れてはおりませんでしたが、
幕末史跡を調べていると何度も登場する為、
ここいらでちゃんと調べてみました。
菊舎は在郷の長府藩士田上由永の娘として、
宝暦3年(1753)に豊浦郡田耕村に誕生。
やがて同村の村田利之助に嫁ぎますが、… 続きを読む
下関市豊北町 西楽寺/毛利秀包墓所
関ヶ原の敗戦で改易となった小早川秀包は、
毛利輝元によって再び召し抱えられて、
小早川姓を捨てて毛利秀包を名乗ります。
※小早川秀秋の裏切りを忌み嫌った為。
しかしその翌年に病死してしまい、
家督は嫡男の毛利元鎮が相続。
元鎮は父秀包の亡骸を滝部に葬りました。… 続きを読む
下関市豊北町 滝部宿跡
滝部は豊北地域の中心地で、
赤間関街道北道筋と肥中街道が交わり、
交通の要所となっていました。
豊北町滝部周辺。緑の線が北浦道筋で、
青い線が肥中街道。
青でぼかした辺りが滝部宿跡。
その立地故に市が開かれており、
周辺より物資が運ばれていたという。
「滝部宿跡」。
街道筋は現在も商店がちらほら存在します。
地方の多くの市が寂れて久しいのですが、
下関市街… 続きを読む
下関市彦島福浦町 福浦
福浦は北前船の寄港地として栄えた港町で、
南風泊と同じく風待ちの為に、
北前船の多くが福浦湾に入ってきて、
大変な賑わいであったという。
現在の福浦町は1~3丁目まであり、
福浦本町と通称される1丁目と、
福浦口交差点西側の2、3丁目とは、
1本道で繋がっているだけとなっています。… 続きを読む