①/②
つづき。
「惇徳院宝塔」。
9代将軍徳川家重の墓。
紀州藩5代徳川吉宗の長男として生まれ、
父が将軍となった事で継嗣となりますが、
病弱で言語障害もあったとされ、
側近の大岡忠光のみがこれを理解し、… 続きを読む
東京都港区 増上寺/徳川将軍家墓所②
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金地院墓地にあるその他の墓。
「直指院殿前丹州太守
見叟宗性禅大禅定門」。
一柳家西条藩2代一柳直重の墓。
初代一柳直盛の長男として生まれ、
父の死後に所領は3つに分けられて、
継嗣の直重は3万石を継承しました。
※次弟一柳直家に2万3000石、
三弟一柳直頼… 続きを読む
金地院には七戸藩南部家の墓もありますが、
東京大空襲で破壊されてしまった為か、
歴代全ては見つかりませんでした。
七戸藩南部家は麹町南部家とも呼ばれ、
元々は5000石の旗本寄合席でしたが、
盛岡藩より分地されて1万1000石となり、
これが認められて諸侯に列しています。
基本的には宗家の蔵米支給だったようで、
江戸に常駐する… 続きを読む
金地院は港区にある臨済宗の寺院。
徳川家康の政治顧問以心崇伝が開山し、
江戸での拠点としていたとされます。
かつては江戸城内にあったようですが、
崇伝の死後に現在地に移転。
八戸藩南部家、麹町南部家が菩提寺とし、
その墓所になりました。
「東京タワー」。
金地院は… 続きを読む
青松寺は東京都港区愛宕にある曹洞宗寺院。
江戸曹洞宗を司った江戸三箇寺のひとつで、
※残り二寺は總泉寺、泉岳寺。
太田道灌によって貝塚(現麹町)に創建され、
慶長5年(1600)に現在地に移転しました。
「山門」。
四天王の設置された巨大な山門。… 続きを読む
日本橋は慶長8年(1603)に架けられた橋で、
その初代は木造の太鼓橋でした。
この年に江戸幕府を開いた徳川家康は、
大名に対するの政治支配力を強める為に、
街道の制度改革と整備に乗りだします。
各所に宿場や伝馬の設置を義務付け、
一里塚や… 続きを読む