[東京都]」カテゴリーアーカイブ

東京都文京区 護國寺/山縣有朋墓所

護國寺にある山縣有朋の墓所。


墓所は門が閉じられて入る事が出来ません。
同所の大隈重信墓所も同様なのですが、
門から覗いてどうにか写真は撮れました。
ですが山縣の墓は門の正面ではなく、
しかも木々が邪魔しています。


元帥公爵山縣有朋墓(左)」、
公爵夫人山縣友子墓(右)」。
なんとか写真が写せる位置を探しました。
山縣については語るまでも無いのですが、
足軽出身でしたが… 続きを読む

東京都文京区 護國寺/盛岡藩南部家墓所

護國寺墓地には維新の元勲らの墓の他、
盛岡藩南部家の墓所もありました。


正三位南部利剛墓(右)」、
同夫人南部明子墓(左)」。
盛岡藩14代藩主南部利剛の墓と、
その妻で徳川斉昭の娘松姫(明子)の墓。… 続きを読む

東京都文京区 護國寺/三条実美墓所

護國寺にある三条実美の墓所。


内大臣正一位大勲位三条公之墓」。
二つの鳥居の先にある三条実美の墓。
権中納言攘夷勅使国事御用掛等を務め、
尊皇攘夷派公家の中心的存在でしたが、
八月十八日の政変で失脚して長州に下り、… 続きを読む

東京都文京区 護國寺

護國寺は将軍徳川綱吉の母桂昌院の発願で、
大聖護国寺亮賢僧正を招き、
幕領高田薬園の地を与えて堂宇を建立。
天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、
寺領三百石を賜ったことに始まります。

以後も将軍家の祈願寺として栄えますが、
檀家続きを読む

東京都豊島区 雑司ケ谷霊園

江戸時代の庶民の埋葬は、
幕府によって定めた寺請制度により、
各寺院に檀家の埋葬が行われていましたが、
明治政府朱引内での埋葬を禁ずると共に、
[墓地取扱規則]を設定して、
東京府内9ヶ所を公共墓地を指定しました。… 続きを読む

東京都品川区 品川宿跡

品川宿東海道の第一宿で、
江戸を出発して品川宿に宿泊するなんて、
そんな旅人は殆ど居ないでしょうから、
入ってくる方がメインだったと思われます。
ですが品川宿が賑わっていたのは、
江戸入り前の最後の宿泊地としてではなく、
単純に[岡場所]のひとつとして、
江戸の人々に利用されていたからでした。
宿場には飯盛女を置く事が許されていた為、
これを目当てにやって来る江戸っ子が多く、
本来の宿場は旅人の為にあるはずですが、
江戸の男達の遊び場となっていた様です。… 続きを読む

東京都千代田区 南町奉行所跡

江戸町方の司法と行政を管轄した町奉行は、
北町奉行南町奉行月番で分かれ、
それぞれが月ごとに業務を行っていました。
つまり庶民が訴え事を申告しようと思ったら、
その月の月番の奉行所に行かなければ、
訴訟を受理してもらえないということ。
最寄の・・というわけではなかったようです。

もちろん月番以外は遊んでるわけではなく、
受理された訴訟の処理や、
刑事事件の捜査が行われており、
またそれぞれに割り当てられる商業案件は、
月番に関係なく常に行われていました。… 続きを読む