熊川宿に流れる前川は、
北川上流の天増川と河内川から取水され、
人馬の飲み水や生活用水となっており、
更に下流の農業用水に利用されていました。
「熊川宿前川」。
水流で芋の皮を剥く[イモ車]等、
特有の利用方法もある他、
速い水流は涼しい風を発生させますし、… 続きを読む
福井県三方上中郡 熊川宿前川
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熊川宿に流れる前川は、
北川上流の天増川と河内川から取水され、
人馬の飲み水や生活用水となっており、
更に下流の農業用水に利用されていました。
「熊川宿前川」。
水流で芋の皮を剥く[イモ車]等、
特有の利用方法もある他、
速い水流は涼しい風を発生させますし、… 続きを読む
鯖街道は小浜と京都を結ぶ街道の総称で、
特定の街道を指すものではなく、
何本もの街道を表す広義の呼称です。
主に海産物の輸送に使われましたが、
最も盛んに輸送されたのが鯖だった為、
鯖街道と呼ばれました。
今回訪問するのは鯖街道の中で、
最も有名な熊川宿跡… 続きを読む
瓜割の滝は若狭町の天徳寺境内にある滝。
瓜も割れる程冷たいという意味で、
瓜破の滝と名付けられましたた。
[昭和の名水百選]に選出されており、
水質や水量は選出当時と変わらず良好。
古来より冷泉として伝えられています。
「天徳寺」。
養老年間(717-724)に… 続きを読む
誓願寺は浄土宗西山深草派の総本山。
天智天皇6年(667)に奈良に創建され、
最初は三論宗の寺院だったようですが、
やがて法相宗の興福寺の所有となりました。
清少納言や和泉式部も帰依したようで、… 続きを読む
カピタンの江戸参府の途上、
京都に滞在する際の阿蘭陀宿海老屋。
京都所司代や町奉行所へ書類を提出し、
大坂で宿泊した阿蘭陀宿長崎屋や、
次の宿泊先の蹴上宿の弓屋… 続きを読む
正伝永源院は建仁寺塔頭の臨済宗寺院。
建仁寺塔頭の正伝院と永源庵が統合し、
両寺の寺名を合わせ正伝永源院となったもの。
「正伝永源院」。
明治初期の仏教排斥運動により、… 続きを読む
常光院は建仁寺塔頭の臨済宗寺院。
建仁寺24世温仲宗純により創建され、
豊臣秀吉正室高台院の兄木下家定が帰依し、
自らの菩提寺として庇護されたようで、
寺名は家定の法名[常光院殿]に由来します。
「… 続きを読む