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金刀比羅宮はこんびら信仰の総本宮で、
大物主神を主祭神とする別表神社。
江戸時代以前は金毘羅大権現として祀られ、
金毘羅参りが盛んにおこなわれて、
お伊勢参りに次ぐ人気であったという。
幕末の志士達もここに参拝しており、
吉田松陰… 続きを読む
長府藩家老三吉家は主席家老細川家に次ぎ、
吉見や庭田など1500石を領していました。
※長府藩家老家は他に、三澤家、伊扶家、桂家、
毛利玄蕃家、田代家、西家。
三吉氏は元々備後の国人でしたが、
戦国時代には尼子家や大内家に従属しており、… 続きを読む
豊永長吉は幕末期の坂本龍馬との交友から、
印藤聿としての名の方が知られています。
幕末を生き延びて明治に活躍した人物は、
明治以降の姓名で知られる訳ですが、
坂本龍馬ありきで語られる事が多い分、
幕末期の名前で呼ばれる事が多いようです。
※ここでも印藤聿に統一します。
彼の墓は功山寺墓地にあります。
「豊永長吉墓」。
所狭しと並ぶ功山寺墓地において、… 続きを読む
台風が続いて子供達が外で遊べない為、
アニメでも借りようとゲオに行きました。
みよちゃんはここたまとシンデレラ、
ゆきちゃんはカーズ2を選びましたが、
[RYOMA]という文字が目に入ったので、
そこまで内容を確認せずに借りてみました。
なになに[RYOMA~空白の三か月~]。… 続きを読む
元治元年2月。
四国連合艦隊が下関攻撃を決定した為、
外国側と交渉してこれを回避するべく、
幕府より調停役を命じられた勝海舟は、
総勢47名の大所帯で長崎に向かいます。
この一行に坂本龍馬ら勝の門弟も同行し、
龍馬は初めて長崎を訪れる事になりました。
2月14日に一行は翔鶴丸… 続きを読む
修学旅行でグラバー園に行ってはいますが、
当時はそれが何なのか関心も興味も無く、
花のある庭園を持つ洋館の印象のみで、
それが武器商人宅とは知りませんでした。
スコットランド人のトーマス・グラバーは、
シャーディン・マセソン商会の勤務を経て、
同社の代理店を設立します。
これが貿易会社グラバー商会… 続きを読む