専行院の正確な由緒は不明ですが、
室町時代末期の開山であるという。
柳本に織田有楽斎の五男織田尚長が入封し、
柳本藩織田家の菩提寺となっています。
「本堂」。
毎年7月第二日曜日に藩主祭が催され、
東京から織田家当主を招き、
報恩感謝の法要が行われているという。… 続きを読む
奈良県天理市 専行院/柳本藩織田家墓所
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専行院の正確な由緒は不明ですが、
室町時代末期の開山であるという。
柳本に織田有楽斎の五男織田尚長が入封し、
柳本藩織田家の菩提寺となっています。
「本堂」。
毎年7月第二日曜日に藩主祭が催され、
東京から織田家当主を招き、
報恩感謝の法要が行われているという。… 続きを読む
若くから羽柴秀吉に仕えた平野長泰は、
賤ヶ岳の戦いで功名を挙げ、
[賤ヶ岳の七本槍]と称えらました。
この功績で3000石の知行を与えられ、
その後の小牧長久手の戦いでも奮闘し、
5000石に加増されています。
その後は目立った功績は挙げていませんが、
関ケ原の戦いで東軍に属して所領を安堵。… 続きを読む
永慶寺は郡山藩柳沢家の藩祖柳沢吉保が、
甲府に建立した柳沢家の菩提寺で、
次代の柳沢吉里が郡山藩に移封されると、
同じく郡山に移転しました。
「山門」。
山門は… 続きを読む
松平定良は淀藩当時の松平定綱の次男で、
定綱が大垣藩を経て桑名藩に移った後、
その死去に伴い桑名藩藩主となります。
定良は聡明で信望も厚かったようですが、
生来体が弱くて病気がちだった為、
度々有馬温泉に療養に出かけたという。
そして湯治からの帰路の… 続きを読む
徳川家康の異父弟松平定勝の死後、
2代将軍徳川秀忠の命によって、
定勝の次男松平定行が崇源寺を建立し、
※寺名の由来は定勝の法号崇源院殿による。
定勝の遺骸を埋葬して菩提寺とします。
後に定行は4万石加増で伊予松山藩へ移り、
桑名藩には定行の弟… 続きを読む
常安寺は鳥羽藩初代藩主家の九鬼家、
最後の藩主家稲垣家の墓所。
はじめ大福寺という真言宗の寺でしたが、
九鬼嘉隆によって曹洞宗に改められました。
しかし嘉隆は関ケ原の戦い… 続きを読む
清源寺は仁正寺藩市橋家の菩提寺で、
旧領主蒲生定秀の別邸桂林庵だったものを、
初代藩主市橋長政が菩提寺に定めた寺院。
「本堂」。
本堂には歴代藩主や重臣らの位牌の他、
2代と3代藩主の木像も安置され、
多くの藩資料も寺宝として残されてます。
清源寺墓地には200人に及ぶ藩士の墓の他、
3代、6代、8代藩主の墓があります。… 続きを読む