家老家」タグアーカイブ

佐賀県佐賀市 久保田宿跡

久保田宿長崎街道の間宿。
戦国時代に物資の取引が行われた場所で、
正式な宿場ではありませんが、
そのまま商業地として続いていたようです。


佐賀市久保田町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが久保田宿跡。
藩政時代は御親類村田家領でした。


久保田宿跡」。
現在の国道207号が長崎街道で、
現在は道幅が広くなっていますが、… 続きを読む

佐賀県多久市 東原庠舎跡/多久聖廟

多久家4代多久茂文は領内で教育を振興し、
椎原山山麓に郷校東原庠舎を開設。
後に孔子を祀る聖廟を創建されており、
これが多久聖廟として現存しています。


孔子の里 多久聖廟」。
郷校東原庠舎の跡地が整備され、
孔子の里 続きを読む

佐賀県佐賀市 慶誾寺/多久家墓所

慶誾寺は本庄町鹿子にある曹洞宗の寺院。
元々は鍛冶屋村にあって流長院と称し、
慶長3年(1598)に慶誾尼によって、
現在地に移転しています。
慶誾尼はここに埋葬されており、
これに因んで慶誾寺と改称されました。


慶誾寺」。
寺宝の白地金字金剛般若波羅密多経は、
山口県の… 続きを読む

佐賀県佐賀市 龍泰寺/村田家墓所

龍泰寺は赤松町にある曹洞宗の寺院。
龍造寺隆信少弐氏の居館跡に建立し、
寺名には龍造寺安泰の意味があるという。
隆信は自ら縄張りを行っており、
戦の合間に頻繁に参禅に来ていたという。

隆信が沖田畷の戦いで戦死すると、
4世太圭和尚続きを読む

佐賀県佐賀市 本行寺/白石鍋島家墓所

初代藩主鍋島勝茂の八男鍋島直弘は、
重臣成富茂安の養子となりますが、
茂安より1000石の分与を受けて独立。
島原の乱への出陣等を経て加増され、
後に鍋島姓に復姓しました。
知行地の白石に屋敷を構えた為、
白石鍋島家と呼ばれるようになり、
後に御親類筆頭となっています。… 続きを読む

大分県中津市 円応寺/河童の墓

福岡藩中老野村家の菩提寺は、
その所領鯰田晴雲寺ですが、
代々の墓所はどこにあるのか不明。
福岡藩飯塚市 晴雲寺/野村家墓所
野村家は代々中老を務めた家柄で、
幕末の当主野村東馬は保守派に属し、
乙丑の獄での弾圧に関与しており、
維新後にその罪を問われ切腹しています。

その初代は… 続きを読む

島根県益田市 妙義寺(再訪)

妙義寺は益田市にある曹洞宗の寺院で、
文永年間(1264-1275)の創建とされ、
始めは臨済宗の寺院であったという。
応永元年(1394)に益田家13代益田秀兼が、
寺領370余石を寄進し曹洞宗に改宗。
弘治年間(1555-1558)には19代益田藤兼が、
大寧寺14世繁興存栄続きを読む