浦上街道は長崎から時津湊に北上する街道。
日見峠を越える長崎街道が整備されるまで、
この街道がメインルートでした。
日本二十六聖人殉教地である西坂より、
浦上村等を経て時津川に沿って時津湊… 続きを読む
「長崎県」カテゴリーアーカイブ
長崎県長崎市 日本二十六聖人殉教地
豊臣秀吉は織田信長の政策を継承し、
キリスト教の布教を容認しており、
イエズス会に布教の許可を与えていましたが、
天台宗の僧で医師の施薬院全宗の進言を受け、
バテレン追放令を発布しました。
しかし秀吉は積極的に追放は行わず、
貿易の為に継続してイエズス会を利用。
イエズス会も大々的な布教活動は控え、
ささやかな布教に終始した為。
追放はされる事無く布教も黙任され、
時には支援も行われたようです。… 続きを読む
長崎県大村市 松原宿跡
松原宿は長崎街道の19番目の宿場町。
彼杵宿と大村宿に挟まれていた為、
規模の小さな宿場であったようで、
本陣や脇本陣は指定されてはおらず、
大名行列や長崎奉行の一行は、
休憩のみに立ち寄っていたようです。
大村市松原本町周辺。緑の線が街道筋で、
赤丸で囲んだ辺りが宿場だった場所。… 続きを読む
長崎県大村市 大村宿跡
大村宿は長崎街道の20番目の宿場で、
玖島城城下の北側に置かれていました。
大村市本町周辺。緑の線が街道筋で、
赤丸で囲んだ辺りが宿場のあった場所。
「大村宿跡」。
大村宿の中心の本町はアーケード街。
立派なアーケードですが中は閑散として、
シャッター商店街となってる模様です。
時代なので仕方ありませんが、… 続きを読む
長崎県大村市 大村護國神社
大村藩4代藩主大村純長は、
徳川家歴代将軍を祀る神社として、
円融寺という天台宗の寺院を創建。
この寺が幕末に廃寺となって、
戊辰戦争戦没者を祀る招魂社が建てられ、
後に大村護國神社と改めました。… 続きを読む