早岐宿は平戸往還の宿場町で、
有田街道との分岐点でもありました。
承応2年(1653)に干拓工事で開かれ、
鉤形(枡形)を配した町割りが作られて、
駅宿を形成したようです。
また早岐瀬戸が佐世保湾と大村湾を繋ぎ、
その海運の要所としても栄えたようで、
多くの物産品が売買されたという。
佐世保市早岐周辺。緑の線が街道筋で、… 続きを読む
「長崎県」カテゴリーアーカイブ
長崎県佐世保市 舳ノ峰番所跡
かつて平戸松浦家と大村家が、
勢力を争って戦を繰り広げていましたが、
お互いが平和的に境界を決定すべく、
天正14年(1586)に和議を行う事となり、
双方の代表者が舳ノ峰峠で落ち合い、
境界を決める会談を行いました。
そこで大村側は早岐までの領有を主張し、
松浦側は川棚までの領有を主張した為、… 続きを読む
長崎県長崎市 鳴滝塾跡
フィリップ フランツ フォン シーボルトは、
ドイツ人の医師で植物学者。
オランダの軍医となり東インドに派遣され、
日本研究を希望して出島の商館医となると、
そこで優れた技術を認められて、
特別に出島の外での診察を許されます。
また鳴滝… 続きを読む
長崎県西彼杵郡 時津湊
浦上街道の終点である時津湊は大村藩領で、
同藩の港である彼杵湊と連絡しており、
多くの物産品や人が運ばれました。
時津港周辺。緑の線が街道筋で、
小さな赤丸は茶屋跡と、
日本二十六聖人上陸の地。
「時津湊」。
埋立てで当時とは海岸線も変化。… 続きを読む
長崎県西彼杵郡 時津御茶屋跡
浦上街道の終点である時津湊は大村藩領で、
同藩の港である彼杵湊と連絡しており、
多くの物産品や人が運ばれました。
「茶屋(本陣)跡」。
大村藩の設置した御茶屋跡。
当時の面影のまま現存しています。
当初は現在の中央市場辺りに置かれ、… 続きを読む
長崎県長崎市 諏訪神社
諏訪神社は弘治元年(1555年)に、
長崎為英が建立した事が起源で、
京都の諏訪神社から分霊を奉祀したという。
※東松浦郡の諏訪神社を勧請した説も。
後に大村純忠が長崎をイエズス会に寄進し、
長崎がイエズス会領となってしまい、
領内の寺社は全て破壊されており、
諏訪神社も他と同様に破壊されています。
江戸時代… 続きを読む
長崎県長崎市 浦上街道起点
浦上街道は長崎から時津湊に北上する街道。
日見峠を越える長崎街道が整備されるまで、
この街道がメインルートでした。
日本二十六聖人殉教地である西坂より、
浦上村等を経て時津川に沿って時津湊… 続きを読む