鵜戸神宮境内には鵜戸陵墓参考地があり、
鸕鶿草葺不合尊が葬られたと伝わります。
治定地は鹿児島県の五平山上陵ですが、
明治29年に明治政府が伝説地に定め、
後に参考地となりました。
鵜戸神宮に隣接する速日峯の頂上に、
その陵墓参考地があります。… 続きを読む
宮崎県日南市 鵜戸陵墓参考地
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鵜戸神宮境内には鵜戸陵墓参考地があり、
鸕鶿草葺不合尊が葬られたと伝わります。
治定地は鹿児島県の五平山上陵ですが、
明治29年に明治政府が伝説地に定め、
後に参考地となりました。
鵜戸神宮に隣接する速日峯の頂上に、
その陵墓参考地があります。… 続きを読む
鵜戸神宮は日向灘に面した断崖にある神社。
全国でも数少ない「下り宮」であり、
岩窟に本殿が鎮座する珍しい神社で、
更に国指定名勝にもなっていて、
非常に[映える]神社であります。
もちろんそれだけではなく、
皇祖神を祀る重要な神社であり、… 続きを読む
安井家の墓の近くにある飫肥藩伊東家の墓所。
清武は薩摩藩と国境を接する重要拠点で、
飫肥藩では重臣を配置してこれを守り、
多くの藩士が在郷していました。
飫肥から遠く離れた清武では、
藩主の墓への参拝出来なかった為、
末寺の文永寺に僑墓が建立されています。
「伊東家僑墓… 続きを読む
儒学者安井息軒を輩出した安井家は、
飫肥藩伊東家に仕えた家臣でした。
南北朝時代に上野国安井村から移り住み、
出身地から安井姓としたようです。
江戸時代には19代安井朝堯が重用され、
清武奉行に任じられた他、
22代安井朝宣… 続きを読む
宮崎市清武にある伊東家墓所。
[伊東家祐堯公墓]となってはいますが、
伊東家11代当主伊東祐堯の他にも、
12代伊東祐国や13代伊東尹祐の墓、
更に15代伊東祐吉とされる墓もあります。
「伊東家墓所」。… 続きを読む
宮崎神宮は宮崎市神宮にある旧官幣大社。
神武天皇が東征以前に宮を営んだ地とされ、
後に皇孫である建磐龍命が創祀し、
崇神天皇の頃に社殿が創建されたという。
伊東家や島津家… 続きを読む
富高は元々延岡藩領だったようですが、
元禄5年(1692)に幕府直轄領となり、
富高代官所が置かれました。
宮崎県日向市 富高代官所陣屋跡
「富高宿跡」。
現在の県道226号線沿いが日向街道。
片側2車線の広い道路となっており、… 続きを読む