【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ

大分県豊後大野市 三重市宿跡

三重市宿日向街道の宿場町。
三重宿市場宿とも呼ばれていたようで、
周辺集落の物資集積地でもありました。
臼杵藩の支配地だったようで、
天保期より領内中核町として代官所も設置。
在郷町としても発展したようです。


三重町市場周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが三重市宿跡。

南西側より散策。

街道沿いは変哲もない路地。… 続きを読む

大分県豊後大野市 大友親時墓所

大友親時豊後大友家4代当主。
鎌倉中後期の人物で、
大友頼泰と共に元寇にも出陣し、
諸将を率いて蒙古軍を追い払いました。
父の隠居に伴い家督を相続しており、
鎮西談議所頭人も務めましたが、
その父に先立って死去しています。


大楽寺跡」。
三重町久田にある… 続きを読む

大分県豊後大野市 白山川

奥豊後随一の清流とされる白山川は、
傾山をその水源として流れ、
渓流沿いの岩壁から地下水が湧き出し、
川底の溶結凝灰岩を長い歳月を掛けて、
少しずつ侵食させています。


白山川」。
訪問時の前日は大雨だった為、
濁っているのではと思っていましたが、
何事も無いように綺麗に澄んでいました。
大量の湧き水が濁水を流しているのでしょう。… 続きを読む

長崎県壱岐市 松浦隆信拝塔

郷ノ浦町本村触にある松浦隆信の拝塔。
隆信は平戸藩の3代藩主で、
父久信の死後に13歳で家督を継ぎ、
35年間藩主を務めて47歳で死去しました。
隆信は武生水村妙見社住吉神社拝殿
本宮八幡各社の再建を行っています。
壱岐在住の藩士らは隆信の死を悼み、… 続きを読む

長崎県壱岐市 亀丘城(武生水陣屋)跡

亀丘城壱岐市にあった城郭で、
永仁2年(1294) に波多宗無が築城しました。
波多家は松浦郡波多郷の岸岳城を本拠とし、
壱岐全島を支配下に収めたとされますが、
重臣日高喜が謀反を起こして岸岳城を奪取。
しかし波多家は龍造寺家の援助を得て、
日高勢から岸岳城を奪還しています。
敗れた日高家は壱岐の亀丘城を本拠とし、… 続きを読む

長崎県壱岐市 天手長男神社

天手長男神社は壱岐にある神社で、
壱岐国一宮とされています。
弘仁2年(811)に天手長雄神社が創建され、
後に天手長男神社に変わったようで、
これが壱岐国一宮とされました。
しかし元寇により失われてしまっており、
天手長男神社の所在は不明。
これを神道家橘三喜が捜索して、
若宮」という小祠続きを読む

長崎県壱岐市 興神社

興神社は壱岐市にある神社で、
壱岐国一宮であるとされています。
現在壱岐一宮を名乗る天手長男神社は、
神道家橘三喜が延宝4年(1676)に比定。
しかし近年の研究により、
興神社が天手長男神社だったとされ、
これが有力な説となっています。


一ノ鳥居」。
壱岐島には大きな寺社は殆ど無く、
境内地は狭いものが多いようです。
ここも参道は50m(?)程度あるものの、… 続きを読む