【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ

長崎県壱岐市 天手長男神社

天手長男神社は壱岐にある神社で、
壱岐国一宮とされています。
弘仁2年(811)に天手長雄神社が創建され、
後に天手長男神社に変わったようで、
これが壱岐国一宮とされました。
しかし元寇により失われてしまっており、
天手長男神社の所在は不明。
これを神道家橘三喜が捜索して、
若宮」という小祠続きを読む

長崎県壱岐市 興神社

興神社は壱岐市にある神社で、
壱岐国一宮であるとされています。
現在壱岐一宮を名乗る天手長男神社は、
神道家橘三喜が延宝4年(1676)に比定。
しかし近年の研究により、
興神社が天手長男神社だったとされ、
これが有力な説となっています。


一ノ鳥居」。
壱岐島には大きな寺社は殆ど無く、
境内地は狭いものが多いようです。
ここも参道は50m(?)程度あるものの、… 続きを読む

長崎県壱岐市 安国寺/松浦久信夫婦拝塔

安国寺は壱岐市にある臨済宗寺院。
暦応元年(1338)に足利尊氏足利直義は、
壱岐にあった海印寺を安国寺に改称し、
元寇以来の戦死者を弔いました。
安国寺は室町時代よりの古刹であり、
多くの寺宝を所蔵していましたが、
そのひとつであった… 続きを読む

長崎県壱岐市 住吉神社

壱岐にある住吉神社三韓征伐の後、
神功皇后住吉三神を祀った事に始まります。
初めは郷ノ浦にあったようですが、
後に現在地に遷座しました。
[日本初の住吉神社]であるとされており、
延喜式神名帳」では… 続きを読む

長崎県壱岐市 朝鮮通信使迎接所跡

豊臣秀吉の2度の朝鮮出兵により、
李氏朝鮮との関係は悪化しますが、
徳川家康は朝鮮との関係改善を進め、
李氏朝鮮に通信使の派遣を打診。
慶長12年(1607)より使節が派遣され、
以後12回これが続いています。
※1回目から4回目までは国交回復交渉や、
 捕虜の返還が行われました。
 5回目より将軍就任の祝賀
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兵庫県神戸市 能福寺/瀧善三郎正信碑

能福寺にある瀧善三郎の碑。
瀧善三郎は神戸事件の責任を負って、
永福寺切腹した人物で、
その永福寺は空襲により焼失しており、
再建される事はありませんでしたが、
その境内に建てられていた碑を、
後に能福寺に移築させたようです。


瀧善三郎正信碑」。… 続きを読む