鳥居本宿を出て少し行った場所に、
中山道と北陸街道の追分道標があります。
「追分道標」。
ここから中山道と北陸街道が分かれ、
中山道は摺針峠を越えて番場宿へ、
北陸街道は米原宿… 続きを読む
「滋賀県」カテゴリーアーカイブ
滋賀県彦根市 鳥居本宿跡
鳥居本宿は中山道の63番目の宿場町で、
北陸街道の起点でもあります。
彦根市鳥居本町周辺。緑の線が中山道で、
青い線は彦根道(朝鮮人街道)。
青くぼかした辺りが宿場のあった場所。
「鳥居本宿跡」。
鳥居本宿は南北に長く伸びる宿場ですが、
時間と体力の関係から中間辺りから北上。
南端はここから約400m南にあり、
彦根道に接続しています。
「合羽所 … 続きを読む
滋賀県大津市 梅田雲濱先生湖南塾址
梅田雲浜は小浜藩の儒学者山口菅山より、
崎門学を学んでこれに傾向し、
大津の崎門学者上原立斎の門下となります。
才能を認められた雲浜は立斎の娘を娶り、
自らも私塾湖南塾を開きました。
大津宿より歩いて湖南塾跡へ。… 続きを読む
滋賀県大津市 大津宿跡
大津宿は東海道の53番目の宿場町。
※中山道の69番目の宿場も兼ねます。
東海道五十三次中最大の宿場とされ、
宿場町の他にも琵琶湖水運の港町、
三井寺の門前町という顔も持ち、… 続きを読む
滋賀県長浜市 慶雲館
慶雲館は明治20年(1887)に、
明治天皇の京都行幸啓で使用された建物。
※行幸啓は天皇皇后両陛下の外出。
行幸啓の帰路に大津から船を利用し、
長浜に上陸されるとのことで、
上陸後に鉄道へ乗り換える際に、
鉄道を待つ適当な場所が無かった為、
長浜の実業家浅見又蔵が私財を投じ、
突貫工事で完成させたとのこと。… 続きを読む
滋賀県長浜市 塩津宿跡
古来より北陸の物産は敦賀に集められた後、
琵琶湖の北にある塩津に運ばれて、
そこから丸子船で大津に運搬され、
京都に持ち込まれたという。
塩津の名は塩が運び込まれる港の意で、
重要な塩が運ばれたのは勿論、
その他の物産の多くが運び込まれ、
江戸時代… 続きを読む
滋賀県長浜市 木之本宿跡
木之本宿は北陸街道の宿場町。
地蔵院の門前町としても栄え、
各地を行き交う旅人と参拝客で賑わい、
海産物の往来も盛んであったという。
「木之本宿跡」。
多くの商家が現存して軒を連ね、
往時の雰囲気を今に残しています。
通りには昭和初期まで中央に小川が流れ、… 続きを読む