高杉晋作は航海術を学ぶ為に、
藩の軍艦教授所に入所します。
そして乗組員として丙辰丸に乗船し、
萩から江戸まで航海していますが、… 続きを読む
「高杉晋作まとめ」カテゴリーアーカイブ
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高杉晋作の主治医石田静逸
慶応3年4月14日。
高杉晋作は療養空しく短い生涯を閉じました。
長州藩はこの若き英雄をなんとか治そうと、
名医で聞こえた李家文厚や竹田祐伯を送り、
寄組国司家も抱医の熊野祥甫を派遣。
特に竹田祐伯は三条実美附の医師でしたが、
木戸準一郎(孝允)がわざわざ… 続きを読む
京都府京都市 霊山護國神社②
「マイ・ディア・シンサク」今江祥智
4月14日 東行庵
今年の高杉晋作の命日は日曜日。
東行庵では恒例の[東行忌]が行われ、
終焉の地でも顕彰碑前祭が行われました。
たぶん相当の人でしょうから、
幼子2人を連れて行くのも微妙なんで、
昼から東行庵に手を合わせに行きました。
すっかり人が掃けて静かな東行庵。
子供達も手を合わせました。
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・東行忌 高杉晋作没後150年記念
高杉晋作の150回忌の供養祭の様子。
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下関市長府 維新発祥の地
「維新発祥之地」碑。
長府のある碑ですが、
長府を維新発祥の地としている所以は、
維新発祥が功山寺挙兵だとする為でしょう。
確かに功山寺挙兵から始まる内訌戦の末に、
正義派政権が誕生して幕府との対決に備え、
幕長戦争勝利によって幕威が崩壊し、… 続きを読む
奇兵隊の吉田転陣
下関市吉田には高杉晋作墓所の東行庵があり、
また奇兵隊陣屋跡もあります。
奇兵隊は結成以来各地に転陣していますが、
内訌戦で奇兵隊ら諸隊が勝利した後、
吉田に本陣を移すことになりました。
これには影響力を強める奇兵隊の発言力を、
中央から遠ざける為であったとされます。… 続きを読む