今も昔も強いなと思う女性は存在します。
不幸な身の上をものともせず、
力強くのし上がっていく。
大阪北新地のクラブでバイトしていた際、
そのような女性を何人か見ています。
富貴楼お倉もそのような女性で、
6歳で家族が離散してしまい、
新宿、品川、吉原などで芸者として働き、
明治に入ってからは自分の置屋を開いて、
天下の糸平… 続きを読む
「伊藤博文」タグアーカイブ
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山口県光市 伊藤博文記念公園
伊藤博文は熊毛郡の百姓林十蔵の長男で、
出稼ぎで萩に住む父に呼ばれて萩に移住。
その父が中間水井武兵衛の養子となり、
武兵衛が足軽伊藤家の養子となった為、
十蔵、利助(博文の幼名)も足軽となります。
百姓として生まれ、父が中間に養子に入り、
養祖父が足軽に養子に入るという展開。
百姓から頂点へのサクセスストーリーは、
戦国時代の豊臣秀吉と同じですが、… 続きを読む
下関市豊北町 肥中湊
肥中港は特牛港の北側の湾にある港で、
小さな漁村といった雰囲気の港です。
豊北町大字神田肥中(肥中港の場所)
この小湊が歴史上重要な場所であった事は、
一般にはあまり知られていません。
大内氏時代より朝鮮貿易の為に整備され、
鎖国後も密貿易の拠点であったとされます。
北浦の隠れた場所でありながら、
肥中街道により山口にも結ばれており、
輸送にも大変優れた場所でもありました。… 続きを読む
山口県防府市 富海宿と船蔵
富海は長州藩領の小さな漁村でしたが、
船便での上方の玄関となっており、
また西国街道の宿場町となって栄え、
多くの人々が行き交いました。
青でぼかした辺りが富海宿跡。
緑の線が西国街道の街道筋。
ここが上方への玄関と云われる所以は、
富海が飛船と呼ばれる客船の拠点で、
ここからの海路が一番早かったから。
長州志士はここから上方を目指し、
他国からの志士もここに上陸しています。… 続きを読む
幕末下関のフグ事情
下関市といえばフグですね。
とはいえ下関に住んでいますが、
毎日フグを食べてるわけではありません。
いくら本場といっても高級魚ですので、
そう簡単には食べれません。
とはいえ子フグのから揚げなどは、
スーパーで安く買えたりします。
「下関市内のマンホール」。
このフグというお魚ですが、
猛毒を持っている事が知られており、… 続きを読む