儒学」タグアーカイブ

広島県広島市 頼山陽居室

江戸時代後期を代表する文人頼山陽は、
天明元年(1781)に父頼春水広島藩に招かれ、
藩儒として登用された為に広島に移住し、
広島城下袋町で幼少時を過ごしました。
藩校学問所に学んだ後に江戸に遊学し、
尾藤二洲に師事して学んだ後に帰郷。
寛政12年(1800)突如… 続きを読む

山口県萩市 海潮寺/明倫館聖廟(本堂)

海潮寺には以前訪問していますが、
その本堂は藩校明倫館にあった聖廟であり、
この事を記事とする為に再訪しました。


本堂」。
海潮寺は北古萩町1区にある曹洞宗寺院で、
元々は石見国温泉津にあったとされ、
毛利輝元続きを読む

大分県速見郡 西崦精舎跡

西崦精舎帆足萬里が開いた私塾で、
天保13年(1842)から約8年、
多くの門人達を指導した場所です。
また自身の学究や著作活動を行い、
入学新論」や「東潜夫論」を著作しました。


西崦精舎跡」。
西崦精舎があった場所は整地され、
当時の建物は既に失われていますが、
基礎や生活の痕跡は埋蔵されたままとのこと。… 続きを読む

大分県国東市 三浦梅園旧宅

三浦梅園江戸時代中期の学者で、
帆足万里広瀬淡窓と並び、
[豊後三賢人]と称される人物です。
上記2人は江戸後期の人物で、
幕末初期には生存していましたが、
梅園は寛政元年(1789)に死去しており、
幕末の人物ではないのですが、
豊後三賢人のコンプリートの為に、… 続きを読む

山口県山口市 山口大学創基の地

一の坂川交通交流広場の敷地に、
山口大学創基の地」碑があります。


山口大学創基の地」碑。
山口大学は私塾山口講堂を淵源とし、
昭和24年に旧制山口高等学校
山口経済専門学校山口師範学校
山口青年師範学校続きを読む

山口県柳井市 飯山塾跡

白井小助は寄組浦家家臣白井弥蔵の長男。
江戸藩邸吉田松陰と起居を共にし、
それ以降親しく交友していたとされます。
松陰が伝馬町獄舎に入獄された際に、
金銭の差し入れを行っていた事で知られ、
後に松陰門下らとも親交しており、
英国公使館焼討事件にも参加。
高杉晋作続きを読む

大分県大分市 毛利空桑旧宅

毛利空桑熊本藩の幕末期の儒者で、
熊本藩領鶴崎で私塾[知来館]を開設し、
文武両道尊皇論を唱えました。
その門弟は890人以上であったとされ、
遠方からもその意見を問う人が絶えず、
吉田松陰斉藤監物も空桑を訪ねています。


「… 続きを読む