元治元年に禁門の変で長州藩は敗れ、
幕府による第一次長州征伐が開始。
これを受けて長州藩では俗論派が台頭し、
幕府への謝罪恭順が模索されます。
奇兵隊及び膺懲隊では幕府を迎撃すべく、
三田尻… 続きを読む
「諸隊」タグアーカイブ
山口県山口市 興隆寺妙見社
興隆寺は推古天皇の時代(593-628)に、
百済より渡来した琳聖太子が建立した寺院。
琳聖太子は百済の王族(聖明王第3王子)で、
周防大内氏の祖とされています。
※諸説あり。
大内氏が隆盛する頃には同様に栄え、
氷上山全域に僧房や堂宇が建ち並びますが、
大内氏滅亡後に毛利家の庇護を得るも、… 続きを読む
宮崎県延岡市 中津大四郎墓所
北川陵墓参考地より北側に登ると、
中津大四郎の自刃の地及び墓所があります。
彼は熊本藩の出身でしたが、
薩軍の挙兵を聞いて竜口隊を組織し、
熊本鎮台の食料貯蔵庫を襲撃。
食料を持って薩軍への従軍を願い出て、
兵站護衛の任を与えられました。
後に戦況の悪化に伴い戦闘に参加しており、… 続きを読む
岡山県倉敷市 観龍寺
観龍寺は倉敷にある真言宗寺院。
約1000年前より倉敷市西岡で創建し、
当時は宝積寺と称していました。
文禄3年(1594)に現在地の南側に移り、
更に寛永元年(1626)に現在地に移動。
その際に寺名を観龍寺に改めています。
「参道石段」。
観龍寺は倉敷美観地区北の鶴形山にあり、
参道石段の横に… 続きを読む
岡山県倉敷市 倉敷代官所跡(再訪)
倉敷代官所は天領(幕府領)倉敷村に置かれ、
代官が派遣され周辺直轄領を統治しました。
江戸時代初期に備中松山に代官所が置かれ、
倉敷村は天領の物資集積地となり、
水運で栄えていた場所でしたが、
松山の代官所が廃止されてからは、
倉敷は松山と共に備中松山藩領となります。… 続きを読む
長崎県長崎市 佐古招魂社
長崎市西児島の小高い場所に、
佐古招魂社があります。
唐人屋敷跡より上へ登った辺りで、
そこは長崎湾が一望できる場所。
早朝よりこの小高い場所へ。
佐古招魂社への入口は、
仁田佐古地区ふれあいセンター近く。
階段脇には石標が設置してあり、
佐古招魂社の説明文が刻まれています。
石段を登ると右手に門が現れますが、
残念ながら門は閉ざされていました。… 続きを読む
山口県熊毛郡 楢崎剛十郎碑
小方家墓所の近くには、
第二奇兵隊参謀楢崎剛十郎の碑があります。
※小方家とは小方謙九郎の妻艶子の妹が、
剛十郎の妻という縁があった。
「楢崎剛十郎源義綱君碑(右)」、
「山縣有朋歌碑(左)」。
陸軍中尉三好重臣… 続きを読む