一門八家」タグアーカイブ

下関市豊北町 西楽寺/毛利秀包墓所

関ヶ原の敗戦で改易となった小早川秀包は、
毛利輝元によって再び召し抱えられて、
小早川姓を捨てて毛利秀包を名乗ります。
小早川秀秋裏切りを忌み嫌った為。
しかしその翌年に病死してしまい、
家督は嫡男の毛利元鎮が相続。
元鎮は父秀包の亡骸を滝部に葬りました。… 続きを読む

山口県山陽小野田市 厚狭毛利家居館跡

厚狭毛利家長州藩一門家老家のひとつで、
毛利元就の八男末次元康を祖とします。
関ヶ原後に宗家が防長二国に減封された後、
長門国厚狭郡周辺を与えられており、
厚狭毛利家と呼ばれるようになりました。


元康の跡を継いだ2代当主毛利元宣は、
厚狭郡末益村に居館を構えており、… 続きを読む

山口県萩市 笠松神社

長州藩永代家老益田家の領地である須佐に、
益田親施を祀る笠松神社があります。

益田家33代当主親施は尊攘派の家老で、
吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。
禁門の変続きを読む

小早川家の復興

毛利元就の両川吉川元春小早川隆景
嫡男毛利隆元を補佐し、
中国制覇に大きく貢献しており、
一般的に三本の矢の教えで知られるように、
隆元とその次代毛利輝元を盛り立てました。

吉川元春は戦上手として知られ、
その戦跡は76戦64勝。… 続きを読む

山口県周南市 宍戸家郷校徳修館

山陽自動車道熊毛ICの入口付近に、
宍戸家の郷校徳修館があります。


熊毛IC周辺(徳修館の場所)


徳修館」。
21代当主宍戸就年が創立した郷校。
23代宍戸元礼明倫館を模し、
聖廟続きを読む

山口県周南市 貞昌寺/宍戸家墓所

長州藩の筆頭家老家である宍戸家は、
毛利元就の中国制覇に貢献し、
吉川家小早川家両川に次ぐ待遇を受け、
毛利家減封後は代々筆頭家老を努めています。

吉川家は関ヶ原の戦いでの確執から、
藩内での発言力を失っており、
小早川家は豊臣政権下で独立していた為、
※小早川家は後に断絶。続きを読む