江戸初期の加藤家熊本藩(52万石)では、
一国一城令の例外として麦島城が認められ、
支城として城代が置かれていましたが、
元和5年(1619)の大地震により崩壊。
この為に2代加藤忠広は幕府の許可を得て、
球磨川の徳淵… 続きを読む
熊本県八代市 八代城跡
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江戸初期の加藤家熊本藩(52万石)では、
一国一城令の例外として麦島城が認められ、
支城として城代が置かれていましたが、
元和5年(1619)の大地震により崩壊。
この為に2代加藤忠広は幕府の許可を得て、
球磨川の徳淵… 続きを読む
三戸城は三戸南部家の居城だった城で、
約200年間居城とした聖寿寺館が焼失し、
※家臣の赤沼備中が24代南部晴政を恨み、
放火したという。
新たな居城として築かれた城です。
熊原川を臨む台地に曲輪を配置した城郭で、
南部家の本拠に相応しい広大な山城でした。
「… 続きを読む
亀ヶ崎城は庄内藩の支城。
庄内地方を領していた最上義光は、
大宝寺城、東禅寺城、尾浦城を整備し、
庄内地方の拠点としていますが、
東禅寺城近くの酒田浜に大亀… 続きを読む
加賀藩は藩庁の金沢城の他に、
小松城を持つ事を許されていましたが、
それとは別に廃城となった筈の高岡城が、
密かに維持されていたようです。
「外濠」。
現在の城跡は高岡古城公園として整備され、
建物は残されていませんが、
堀や土塀などが状態良く残っています。
大手門跡より城内へ。… 続きを読む
御附家老は将軍家一族が大名となる際、
将軍家の譜代家臣より付けられる家老で、
藩主教育、藩の運営、幕府との調整を行い、
藩政を担う重要なポジションなのですが、
直参から陪臣へと家格が下がる為、
実に割を食う役割といえます。
この役割を担う為には使命感… 続きを読む
仙台藩は一国一城令の例外として、
青葉城(仙台城)の他に白石城を持ち、
更に21の要害と呼ばれる城がありました。
一国一城令ってのは結構雑で、
令制国なのか大名領国なのかも曖昧。
例外に1,2の支城… 続きを読む
久保田藩は出羽半国に広大な領地を持ち、
また大きな落ち度もなく常陸一国から、
出羽半国に減転封となっていた手前、
幕府は藩庁の久保田城の他に、
一国一城令の例外として、
横手城、大館城の維持を許可。
3つの城を持つ事になりました。
横手城は久保田藩の支城で、
家老の戸村十太夫家が代々… 続きを読む