美祢市」カテゴリーアーカイブ

美祢市 八幡磨能峰宮(広岡浪秀の顕彰碑)

美祢市の中央部北側。
下領という場所にある八幡宮に、
池田屋事件で闘死した広岡波秀の碑があります。


美祢市大嶺町周辺(八幡磨能峰宮の場所)


八幡磨能峰宮」。
通称は下領八幡宮
社伝によると創建は孝霊天皇の時代とされ、
紀元前200年代という事になります。
当初は天照大神、… 続きを読む

山口県美祢市 四郎ヶ原宿

下関を結ぶ赤間関街道
北浦道筋北道筋中道筋の3ルートがあり、
中でも最も距離が短いのが中道筋です。


赤間関街道と四郎ヶ原の場所

その中間地点が四郎ヶ原
なんらかのいわくがありそうな名称ですが、… 続きを読む

美祢市 楢崎頼三屋敷跡

飯盛山で自刃した白虎隊の生き残り飯沼定吉
燃える城下を落城と勘違いして少年達は自刃し、
定吉も咽喉に脇差を突き立てたが死ねず、
それを会津藩士の妻が見つけて介抱し、
定吉は一命を取り留めます。
後に定吉は電信技士となって各地に赴任し、
電信電話の発展に貢献しました。

この飯沼定吉が会津戦争終結後、
敵であった長州藩士続きを読む

山口県美祢市 来嶋又兵衛関連史跡

美祢市南端の厚保町栗の産地として有名で、
栗の木に適した土壌を持ち、
江戸時代後期より栽培されていました。
その大きくて甘い厚保栗は、
現在も盛んに栽培されています。

その厚保に来島又兵衛関連の史跡があります。
又兵衛は無給通士喜多村政倫の次男に生まれ、
初名は亀之進といいました。… 続きを読む

美祢市 大田絵堂の戦い史跡④(呑水峠、赤村の戦い)

///④

萩政府軍は荻野隊を先頭に、
約500名で長登口より攻撃。
守備していた膺懲隊八幡隊は、
太平堤の土手を盾に防戦。
約5倍の兵力差で諸隊勢は劣勢となりました。… 続きを読む