赤間宿は唐津街道の宿場町。
神武天皇がこの地を通行した際、
道に迷って困っていると、
赤い馬に乗った老人が現れて、
一行の道案内をしたという。
赤間(赤馬)の地名はこれに由来します。
現地案内板。
唐津街道には案内板が設置されており、
これが意外に便利だったりします。
東口から散策。
「東構口跡」。
JR教育大前駅にある… 続きを読む
「五卿」タグアーカイブ
山口県美祢市 伊佐市跡
伊佐市は藩内の主要街道から外れていましたが、
売薬業が盛んに行われて栄えていたようで、
幕末期には32軒もの売薬業者が軒を連ね、
その商圏は山陰、北九州をメインとした他、
関東や北陸にまで及んでいたようです。
その起源は桜山の修験者に勤仕していた者が、
江戸時代に入って売薬業を始めた事からとされ、
「… 続きを読む
下関市彦島 福浦
福浦は北前船の寄港地として栄えた港町で、
南風泊と同じく風待ちの為に、
北前船の多くが福浦湾に入ってきて、
大変な賑わいであったという。
現在の福浦町は1~3丁目まであり、
福浦本町と通称される1丁目と、
福浦口交差点西側の2、3丁目とは、
1本道で繋がっているだけとなっています。… 続きを読む
福岡県北九州市 黒崎宿跡
黒崎宿は長崎街道の1番目の宿場町で、
福岡藩領の東端にあたります。
また上方への渡海船の港もあった為、
多くの旅人が宿場を利用していました。
八幡西区黒崎周辺。緑の線が街道筋。
赤丸で囲んだ辺りが宿場町だった場所。
東側より散策。
「黒崎宿東構口跡」碑。
東側の入口にあたる場所で、
隣接する… 続きを読む
下関市長府 功山寺/泉十郎(野々村勘九郎)墓所
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長府藩の尊攘派の首領格といえば泉十郎。
長府藩士荻野十郎左衛門の次男として生まれ、
同藩士野々村合左衛門次晋の養子となります。
※野々村家は130石馬廻格。
家督相続後の文久3年には藩奉行職を務め、
青年藩士らを集めて精兵隊を組織。
※福原和勝や… 続きを読む