五卿」タグアーカイブ

下関市彦島 福浦

福浦北前船寄港地として栄えた港町で、
南風泊と同じく風待ちの為に、
北前船の多くが福浦湾に入ってきて、
大変な賑わいであったという。

現在の福浦町は1~3丁目まであり、
福浦本町と通称される1丁目と、
福浦口交差点西側の2、3丁目とは、
1本道で繋がっているだけとなっています。… 続きを読む

福岡県北九州市 黒崎宿跡

黒崎宿長崎街道の1番目の宿場町で、
福岡藩領の東端にあたります。
また上方への渡海船の港もあった為、
多くの旅人が宿場を利用していました。


八幡西区黒崎周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが黒崎宿跡。

東側より散策。

黒崎宿東構口跡」碑。
東側の入口にあたる場所で、
隣接する… 続きを読む

下関市長府 功山寺/泉十郎(野々村勘九郎)墓所

長府藩の尊攘派の首領格といえば泉十郎
長府藩士荻野十郎左衛門の次男として生まれ、
同藩士野々村合左衛門次晋の養子となります。
※野々村家は130石馬廻格。
家督相続後の文久3年には藩奉行職を務め、
青年藩士らを集めて精兵隊を組織。
福原和勝続きを読む

福岡県宗像市 五卿西遷之遺跡

長州より九州に入った三条実美五卿は、
赤間宿に25日間滞在しています。
福岡藩家老加藤司書が出迎えたのですが、
加藤は帯刀していたようで、
滞在先に御茶屋には竹矢来が組まれており、
※囚人が逃げないようにする柵。
礼節を欠いた行為に五卿らは憤慨し、
薩摩藩に不満の手紙を出しました。… 続きを読む

福岡県北九州市 黒崎湊/五卿上陸地

第一次長州征伐の長州藩降伏条件ひとつとして、
五卿の領外移転が幕府より要求され、
月形洗蔵筑前勤王党の周旋によって、
五卿は大宰府への移転が決まりました。

藩内は高杉晋作のクーデターにより、
既に内訌状態となっていましたが、
元治2年1月14日に五卿は馬関を出航。
途中で彦島続きを読む