安政3年7月21日。
昼から興膳五六郎と外出。
三条通りで短冊、麹町で扇子を買う。
壬生寺、嶋原、東寺を見物。
嶋原で転進踊りを見ようとしたが、
時間が合わなかったようで見れなかった。
東寺では弘法大師の忌日で、
人が多く物売りも多く賑やか。
帰りに四条の花遊軒で一盃。蓮飯を食べた。
※神道信者の白石ですが、
京都では多くの寺を見物してます。
転進とは太夫の下のランクの遊女の事。
東寺は毎月21日に縁日があり、
訪問時にこれに当たったのでしょう。
安政3年7月22日。
弁当持参で興膳老人と知恩寺百萬遍を見る。
吉田神社、真如堂、光明寺をめぐる。
それから若王寺を見物。
ここは7~8年前に開かれたそうで、
あまり人には知られていない景勝地。
行ってみると噂通りの名所であった。
夕方近くに光雲寺、永観堂、南禅寺を見る。
安政3年7月23日。
興膳家を訊ね興膳老人と寺町へ。
野立の茶道具を買い、
五条の茶屋で昼食を取った後、
三十三間堂を見物。焼物屋を見て帰った。
夜にまた出かけ興膳老人と懇意な家を借り、
門院様の葬式を見る。
それから帰って老人と一盃。
※門院様とは高貴な女性の事。
夜中の葬式ならば神道か?
若しくは通夜だったのかも?
安政3年7月24日。
朝早く寺町四条綾小路角の額屋嘉兵衛が、
三十六歌仙を持ってきたので、
2両1分までなら買うと約束。
それから興膳老人と買い物に出かけ、
錫小茶入、白粉、水引などを買う。
祇園のニ軒茶屋東の中村屋で昼食。
昨日行った五条の焼物屋に再び行って、
陶器を買おうとしたが、
夕方なので荷造りが出来ず買わなかった。
大丸で真冬のえり12枚、布団2枚を買う。
夜に老人と四条上田鍋屋で一盃飲んで帰る。
※三十六歌仙とは平安時代の歌人達の事で、
それの歌集でしょうか?
二軒茶屋東の中村屋とは、
現在の[二軒茶屋 中村楼]の事か?
安政3年7月25日。
今日も興膳老人と買い物へ。
桐の茶箱20個、上えり2枚買う。
五条の焼物屋で陶器を買う。
昨日は夕方なので荷造りできなかったが、
朝なのですぐしてくれた。
東山で昼食。
一盃飲んでいたら夕立になったので休憩。
高台寺の萩を見に行くが、
時期が早く開花していなかった。
真葛ヶ原で煎茶一瓶と菓子を買い、
祇園四条橋で老人と別れる。
式部佐兵衛の店で眉剃毛を買う。
昨日来た額屋嘉兵衛の店で、
三十六歌仙を2両1分2朱に決め、
手付金を払う。
夜、蛸薬師の素屋清兵衛の店で、
守袋を注文。
帰ると下関から手紙が来ていた。
※すっかり買い物日記になっています。
三十六歌仙を2朱高く買っていますが、
良い品だったのでしょうか?
安政3年7月26日。
由五郎を三条の豊後屋に使いにやり、
伊勢の藤田宰助が訊ねてきたら、
今の借家を知らせてくれるように頼む。
興膳老人と散歩へ。
花山院家の和田清記に播磨風土記を聞く。
和田は「当家の梅戸紀伊守が、
吉田家の山田房之助と懇意で、
この人から鈴鹿某へ頼めば、
難なく借りられるだろう」との事。
そこで山田家に行くが関東に旅行中で留守。
家人が「鈴鹿という家は何件もあるが、
見つけて借りれたら宿へ持参しましょう」
と至って親切にしてくれた。
それから上鴨大明神へ参拝。
とても大きな社でその前の茶屋で昼食。
鮎の煮しめにゴリの吸い物、
珍しく至って結構。
帰路に今宮に参り大徳寺に行った。
境内は広く40も坊があり、
そのひとつ黄梅院大綱長老を訪ねる。
興膳老人にイギスを託り、
自分も上酒2升の切手を持参。
茶菓子や酒飯をいろいろご馳走になる。
歌一首を詠んで差し上げると、
気に入られ御懐紙や色紙を戴いた。
御所を拝見したいと申し出ると、
「あなたは歌が詠めるので、
有栖川家門人となれは、
御所は拝見できるだろう」との事。
毎年お題を頂き詠草を送ると、
採点してくれて自分のを見せてくれる。
毎年正月と八朔に親王様に金200疋、
御清太夫に金百疋、
両家の玄関の取り次ぎに2朱必要とのこと。
その他遠方の者は、
土地の物産を折々献上すれはよいらしい。
お望みなら参上したときに、
宮様に申し入れておこうというので、
よろしくお願いした。夕方、大徳寺を退出。
夜は北野天満宮に参拝。
夜半過ぎに地震があった。
※大徳寺梅院大綱長老は興膳老人と懇意で、
紫衣大僧正の高僧です。
どうしても御所を拝見したい白石に、
興膳老人が紹介したのでしょう。
門人に必要な献金も書かれており、
公卿の収入がこのような感じで、
得られているのがわかりますね。
玄関の取り次ぎにまで金が要るとは・・。
つづく。
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