日田の城下町である豆田町で、
廣瀬淡窓関連の史跡を巡ります。
「豆田町の街並み」。
御用商が軒を連ねていた城下町は、
当時の建物が状態よく保存されており、
観光名所として雑貨屋になっていたり、
蕎麦屋になっていたりと、
訪れる人達を楽しませてくれています。
「廣瀬資料館(廣瀬淡窓旧宅)」。
廣瀬家や所縁の品や書物を展示する資料館。
御用商… 続きを読む
大分県日田市 廣瀬淡窓関連史跡
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日田の城下町である豆田町で、
廣瀬淡窓関連の史跡を巡ります。
「豆田町の街並み」。
御用商が軒を連ねていた城下町は、
当時の建物が状態よく保存されており、
観光名所として雑貨屋になっていたり、
蕎麦屋になっていたりと、
訪れる人達を楽しませてくれています。
「廣瀬資料館(廣瀬淡窓旧宅)」。
廣瀬家や所縁の品や書物を展示する資料館。
御用商… 続きを読む
九州の幕府天領16万2000石は、
西国筋郡代によって治められていました。
幕領にはそれぞれ代官が置かれますが、
関東、美濃、飛騨、西国筋は、
他の天領と違い大規模であった為、
代官より身分の高い郡代が置かれます。
郡代は郡レベル石高を支配する代官… 続きを読む
瀬戸内海で活動した村上水軍の三家、
能島村上家、因島村上家、来島村上家。
このうち能島村上家と因島村上家は、
毛利家の御船手組となっていますが、
来島村上家の村上通総は豊臣秀吉に仕え、… 続きを読む
豊前四日市は中津藩小笠原家領でしたが、
3代藩主小笠原長胤が悪政で改易に処され、
本家の小倉藩小笠原家預かりとなります。
没収された四日市周辺は天領となり、
四日市代官所が置かれてました。
後に天草代官の支配を経て、
西国筋郡代支配となりました。
「四日市陣屋跡… 続きを読む
臼杵城は大友宗麟が丹生島に築いた海城で、
当時の丹生島は三方が海で囲まれ、
干潮時に陸続きとなる天然の要害でした。
宗麟は干潟を埋め立てて城下町を創り、
明確な時期は明らかではないながらも、
臼杵城を大友家の本拠としています。
後に豊臣秀吉が次代大友吉統… 続きを読む