[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市吉田 東行庵/赤禰武人の墓

奇兵隊顕彰墓地にある赤禰武人の墓碑。
赤禰は奇兵隊の3代目の総督でしたが、
高杉晋作の功山寺挙兵に反対し、
これが成功した為に立場を失って出奔。
上方で捕らえられてしまいます。
赤禰は長州藩との仲立ち提案した為、
許されて永井尚志らと広島まで随行。
そこから長州へ侵入していますが、… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/谷梅処の墓

高杉晋作及び福田侠平の墓の一段低い位置に、
東行庵初代庵主谷梅処の墓があります。


雪庵梅処尼首座」。
東行庵初代庵主谷梅処の無縫塔。
出自不明ながら芸者此の糸として裏町で働き、
晋作による見受け後はうのと呼ばれました。… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/高杉家の墓

高杉晋作福田侠平の墓の間には、
10m程度の空間があり、
充分に奥方の墓が建てられますが、
晋作の妻雅子達の累代の墓は、
晋作の墓から離れて建っています。


高杉家累代之墓」。
晋作の妻雅子、息子の東一、東一妻茂子
東一長女暢子続きを読む

下関市吉田 東行庵/福田侠平の墓

高杉晋作の墓の隣は妻雅子の墓ではなく、
奇兵隊軍監福田侠平の墓となっています。
これは福田の遺言に沿ったものですが、
隣とはいえ10m程離されました。
後に隣に奥方の墓が建てられるように、
わざわざ開けられたと推測しますが、
雅子らの累代墓は少し離れて建てられた為、
微妙に離れた晋作と福田の墓だけが、
広いスペースに並んでいます。


福田公明墓」。
福田は長州藩士十川権右衛門続きを読む

下関市吉田 東行庵/奇兵隊顕彰墓地

久しぶりの東行庵
梅の花も開いて香っていました。
毎度晋作の墓にはお参りしていますが、
今回はそれ以外の墓について触れてみます。


司馬遼太郎文学碑」。
何を思ってかゆきちゃんが腰掛けたので、
司馬遼太郎文学碑と共に一枚。
紀行文[街道を行く]の一節とのこと。… 続きを読む

下関市中之町 引接寺/小早川隆景墓所

伊藤助太夫(久三)の墓を探し、
引接寺を訪れたのは7年前。
結局は助太夫の墓はそこには無く、
空月庵跡という別の場所にありましたが、
下関市本町 空月庵跡/本陣伊藤家墓所
江戸中期の伊藤家当主の墓や、
奈良屋入江和作の墓は見つけました。
下関市中之町 引接寺/伊藤家 入江家墓所
今回は7年ぶりに訪問し、
小早川隆景の分骨墓に参ります。


本堂続きを読む

下関市豊北町 島戸浦

島戸浦角島対岸の本土側にある漁村で、
その名の通り角島への門戸で、
渡船が出ていた場所でした。


島戸漁港」。
小型の漁船が多く碇泊しており、
イサキ等の釣漁を行っている他に、
釣客の瀬渡しもやっています。
遠くに見えるのは角島大橋続きを読む