戸田松平家は三河戸田氏の宗家で、
当主である戸田康長が松平姓を与えられ、
松平康長を名乗った事により始まり、
信州松本藩から播州明石藩、濃州加納藩、
雍州淀藩、志州鳥羽藩… 続きを読む
兵庫県明石市 松平康直墓所
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戸田松平家は三河戸田氏の宗家で、
当主である戸田康長が松平姓を与えられ、
松平康長を名乗った事により始まり、
信州松本藩から播州明石藩、濃州加納藩、
雍州淀藩、志州鳥羽藩… 続きを読む
明石藩松平家は越前松平家の支流で、
結城秀康の六男松平直良を祖とします。
長兄松平忠直が乱心の為強制隠居となり、
宗家の家督は次兄松平忠昌が継ぎますが、
その際に越前国は細かく分割。
直良も… 続きを読む
大蔵谷宿は西国街道の7番目の宿場で、
京都側からは明石城の手前に位置し、
旅籠が約60軒もあったという。
明石城南東周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが大蔵谷宿跡。
東側から散策。
「大蔵谷宿跡」。
街道沿いの家々は更新されており、
面影は少なくなってはいますが、
当時の家屋をリフォームしたと思われる家も、
いくつか点在しています。… 続きを読む
景福寺山にある尊攘志士松下鐵馬の墓。
「松下鐵馬高光之墓(左)」、
「松下よね之墓(右)」。
松下鐵馬は姫路藩尊攘志士で、
剣技や砲術に優れた人物だったという。
江戸や京都で尊皇攘夷運動を展開し、… 続きを読む
景福寺山にある永田伴正の墓。
「従五位永田伴正君
同夫人伊尾子 墓」。
姫路藩尊攘志士永田伴正は、
藩内尊攘派首魁河合惣兵衛らと行動。
文久3年に児島又右衛門殺害に関与し、
家名断絶… 続きを読む
景福寺山には多くの姫路藩士が眠りますが、
元会津藩士の墓もありました。
「丸山芳介
夫人國子墓」。
会津藩士丸山玄斎の次男に生まれ、
会津戦争では会津若松城に籠城。
降伏後は上京して南摩綱紀に入門し、… 続きを読む
景福寺の墓地は裏手の景福寺山。
幕末姫路藩士の墓も多くありましたが、
これは別記事とするとして、
頂上付近にある松平明矩の墓所へ。
「姫路藩主松平明矩墓所」。
訪問時は初夏で草木が生い茂り、
蚊もかなり多くて苔掃も大変ですが、
案内板も設置されていましたので、
なんとか辿り着きました。
「正眼院殿廓然無聖大居士塔(五輪塔)」、
「播山康公墓碑… 続きを読む