公卿」タグアーカイブ

勅使を迎える奇兵隊士達

攘夷を決行した長州藩に対し、
朝廷は激励の為に勅使正親町公董を派遣。
文久3年7月16日に勅使は下関に到着し、
白石正一郎邸に入ります。
宿陣の幹部らは白石邸に参謁し、
朝廷の激励の言葉を賜りました。

翌日勅使一行は各砲台を視察。
迎砲の発射、西洋銃陣や射的、
槍や剣の試合の披露も行います。
勅使正親町公董はこれに満足し、
その日の宿所長府へ向かいました。… 続きを読む

五卿の筑前行

第一次長州征伐の降伏条件として、
五卿領外移転が決定。
五卿は筑前へ移転する事となります。
長州藩大田絵堂の戦いの最中でしたが、
下関で留守を守る諸隊と伊藤俊輔は、
五卿の渡海を止める事は出来ず、
元治2年(慶応元年)1月14日に、
五卿は筑前に向かいました。

元治2年1月14日続きを読む

東京都台東区 谷中霊園/大原重徳墓所

乙6号5側に大原重徳の墓があります。


贈正二位大原重徳墓(左)」、
貴族院議員正二位勲三等
 伯爵大原重朝之墓(右)」。
大原重徳は権中納言大原重尹の五男で、
大原重成の死去により家督を相続。
日米修好通商条約の締結に反対し、
八十八卿列参奏上に参加しています。… 続きを読む

下関市豊浦町 小野小町の墓

虚無僧墓のお堂の裏手に、
小野小町の墓とされるものがあります。
彼女の墓は全国各地に存在し、
どの墓が本物かは不明。

小野小町平安時代前期の女流歌人で、
古今和歌集六歌仙に選ばれる才女ですが、
その出自は詳しくわかっていないという。
絶世の美女であった事が伝えられており、
老いて美貌が失われていく事に耐えられず、
晩年は続きを読む