肥中港は特牛港の北側の湾にある港で、
小さな漁村といった雰囲気の港です。
豊北町大字神田肥中(肥中港の場所)
この小湊が歴史上重要な場所であった事は、
一般にはあまり知られていません。
大内氏時代より朝鮮貿易の為に整備され、
鎖国後も密貿易の拠点であったとされます。
北浦の隠れた場所でありながら、
肥中街道により山口にも結ばれており、
輸送にも大変優れた場所でもありました。… 続きを読む
「吉田松陰」タグアーカイブ
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晋作が犬を斬ったという話
高杉晋作が犬を斬って鬱屈を晴らし、
幽閉中の吉田松陰がそれを聞いて
「もって志気の劣えが知れる」
と嘆いたという。
この話の出所はどこなんだろうと、
前々から気になっていたのですが、
ネット上ではその話の出典が書いてない。
※このブログも出典はめんどくさいので、
殆ど記載していません。
出典が知りたい場合はご連絡下さい。
色々と調べてみると確かにありました。
安政6年に松陰が書いた諸友宛… 続きを読む
東京都荒川区 小塚原回向院
東京に出張。
突如スケジュールに余裕が出来たので、
南千住の小塚原回向院に行ってきました。
小塚原回向院は両国回向院の住職弟誉義観が、
刑死した罪人を供養する常行堂を創建し、
それが両国回向院の別院となったもの。
ここに吉田松陰、橋本左内など、… 続きを読む
長崎県平戸市 松陰関連史跡
山口県萩市 常念寺/飯田正伯墓所
飯田正伯は松下村塾の中でも2番目に年長で、
もちろん吉田松陰よりも年上でした。
藩医の家出身の正伯は初め医学を学びますが、
次第に兵学に興味を持ち、
松下村塾に通って山鹿流軍学を学びます。
松陰に師事した期間は約1ヶ月余りと短く、
堅い絆とは言えませんが、
松陰が伝馬町に入獄した際に江戸にいた為、
晋作や尾寺新之丞… 続きを読む