益田家」タグアーカイブ

山口県萩市 唐人墓

享保11年(1726)8月7日。
永代家老益田家の領地須佐湾唐船が出現。
長州藩は交渉の末に密貿易船と判断し、
これに攻撃を加えて沈めています。
長州藩の異国船討ち払い
唐船の乗組員は全て殺されており、
その遺体は湾内の長浜に埋葬されました。


須佐湾続きを読む

島根県益田市 妙義寺(再訪)

妙義寺は益田市にある曹洞宗の寺院で、
文永年間(1264-1275)の創建とされ、
始めは臨済宗の寺院であったという。
応永元年(1394)に益田家13代益田秀兼が、
寺領370余石を寄進し曹洞宗に改宗。
弘治年間(1555-1558)には19代益田藤兼が、
大寧寺14世繁興存栄続きを読む

島根県益田市 医光寺(再訪)

医光寺の前身は天台宗寺院の崇観寺で、
南北朝時代の創建とされており、
元々の医光寺はその塔頭であったという。
崇観寺は益田家に庇護されていましたが、
戦国時代の戦火で荒廃してしまい、
後に益田家17代益田宗兼が医光寺を再建。
崇観寺の継承寺院にしたようですが、… 続きを読む

島根県益田市 益田兼堯墓所


幕末とは大きく離れてはいますが、
益田市にある益田家の墓所を巡ってみます。
萬福寺にある益田家当主の墓所を、
以前にも記事にしていましたが、
他にも益田家当主の墓所が散在しており、
これを巡ってみようと考えました。

15代当主益田兼堯の墓所は、
七尾町桜谷の墓地内にあります。

益田兼堯の墓」。
益田家15代当主益田兼堯の墓。
14代益田兼理続きを読む

山口県長門市 大寧寺墓地/益田家墓所

石見益田家の菩提寺のひとつ妙義寺は、
13代益田秀兼大寧寺木叟和尚を招き、
開山させたとされています。
この事から益田家は大寧寺と深く結びつき、
焼失した山門を再建するなど、
大寧寺を篤く信仰していたようです。

大寧寺墓地にある益田家の分骨墓。… 続きを読む

山口県萩市 東光寺/四大夫十一烈士墓所

東光寺大雄宝殿裏側奥は毛利家墓所で、
その手前には四家老の墓所と、
元治甲子殉難烈士の墓所があります。
彼らは元治元年の第一次長州征伐の際に、
藩内で主導権を握った俗論党により、
切腹したり斬首された藩士達でした。
これらは杉孫七郎続きを読む

山口県萩市 笠松神社

長州藩永代家老益田家の領地である須佐に、
益田親施を祀る笠松神社があります。

益田家33代当主親施は尊攘派の家老で、
吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。
禁門の変続きを読む