金戒光明寺墓地の長い石段入口右側に、
津和野藩の藩祖亀井茲矩の墓があります。
「前武州大守中山道月大居士(中央)」。
津和野藩祖亀井茲矩の墓。
茲矩は尼子家家臣湯永綱の長男に生まれ、
同家臣亀井秀綱の次女を娶り、
亀井姓を名乗っています。
尼子家滅亡後に… 続きを読む
京都府京都市 金戒光明寺/亀井茲矩墓所
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金戒光明寺墓地の長い石段入口右側に、
津和野藩の藩祖亀井茲矩の墓があります。
「前武州大守中山道月大居士(中央)」。
津和野藩祖亀井茲矩の墓。
茲矩は尼子家家臣湯永綱の長男に生まれ、
同家臣亀井秀綱の次女を娶り、
亀井姓を名乗っています。
尼子家滅亡後に… 続きを読む
知恩寺は浄土宗の大本山寺院で、
現在は百萬遍知恩寺と称しています。
元弘元年(1331)に疫病が蔓延した際、
知恩寺8世善阿空円が念仏百万遍を行い、
これを鎮めた事から後醍醐天皇より、
[百万遍… 続きを読む
祥瑞寺は応永年間(1394-1428)の建立で、
大徳寺の僧華叟宗曇開山の臨済宗寺院。
「山門」。
門前に[一休和尚修養地]碑があります。
一休和尚とは一休宗純の事で、
ひと昔前は[一休さん… 続きを読む
宝塔寺は伏見区深草にある日蓮宗寺院。
極楽寺という真言宗の寺がその前身で、
鎌倉末期に布教中の日蓮宗の僧日像が、
極楽寺の住持良桂と法論を行い、
この事から良桂が日像に帰依します。
良桂が真言宗に改宗した事により、
極楽寺は日蓮宗に改宗し鶴林院と改称。… 続きを読む
正伝永源院は建仁寺塔頭の臨済宗寺院。
建仁寺塔頭の正伝院と永源庵が統合し、
両寺の寺名を合わせ正伝永源院となったもの。
「正伝永源院」。
明治初期の仏教排斥運動により、… 続きを読む
常光院は建仁寺塔頭の臨済宗寺院。
建仁寺24世温仲宗純により創建され、
豊臣秀吉正室高台院の兄木下家定が帰依し、
自らの菩提寺として庇護されたようで、
寺名は家定の法名[常光院殿]に由来します。
「… 続きを読む
幕末期に存在した諸藩の歴代藩主の墓を、
出来るだけ網羅しようと考えておりますが、
なかなかにこれがハードルが高い。
一般公開されたものもあれば、
期間限定の公開がされているものや、
完全に非公開のものもあります。
これらはとりあえず場所も確定しますが、
厄介なのは不確かな情報しかないもの。
色々と調べてはいるのですが、
実際に行って確かめてみないと判らない。
情報はガセもありますし、
古いもの… 続きを読む