吉田宿は西国街道の宿場町であり、
終点の赤間関宿前の最後の本宿でした。
本陣として長州藩直営の御茶屋も置かれ、
また本藩の最西の領地だった為、
郡役所の吉田宰判勘場… 続きを読む
「高杉晋作」タグアーカイブ
山口県宇部市 船木宰判勘場跡/御茶屋跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
初期の宰判は厚東郡吉見に置かれましたが、
御茶屋の移設に伴い宰判も船木に移動し、
宰判勘場と御茶屋が併設されました。… 続きを読む
山口県山口市 小郡宰判勘場跡/御茶屋跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「小郡宰判勘場跡/御茶屋跡」。
小郡宰判勘場には御茶屋が併設され、… 続きを読む
下関市阿弥陀寺町 本陣伊藤邸跡
今更ながら本陣伊藤家の記事。
伊藤家は鎌倉時代よりの名家の家柄で、
室町時代、江戸時代には町の大年寄を務め、
町代官も務める指導的立場であったという。
参勤交代で訪れる諸大名の本陣も務め、
※伊藤家は東本陣で、… 続きを読む
下関市吉田 常関寺/山内梅三郎墓所
長州藩寄組山内家は備後国の国人でしたが、
毛利元就に帰属して尼子勢に対抗し、
その後の毛利輝元の代に家臣となりました。
毛利家の防長減封後もこれに従い、
厚狭郡吉田に4905石を与えられており、
以後は江戸時代… 続きを読む
下関市豊前田 晋作通り
山口県最大の歓楽街であるという豊前田。
僕はあまり酒が強い方ではなく、
飲み歩くというクセがないもので、
地元ながらそれほど詳しくはないのですが、
大阪の北新地のクラブで働いていたので、
その仕組みはある程度詳しかったりします。
高校卒業して就学の為に大阪に出て以降、
20年間大阪に在住していたので、
豊前田通りには帰郷後に旧友に連れられ、
何軒かおねえちゃんのいる店に行った程度。
上記のように飲み歩くクセがないもので、
豊前田に関しては殆ど知りません。
豊前田通りは「… 続きを読む
琴平での高杉晋作
開港論を唱えて命を狙われた高杉晋作は、
琴平の侠客で日柳燕石を頼る為、
丸亀に上陸した後に琴平を目指します。
しかし晋作は直接琴平へ入らず、
旅籠「藤の棚」に入ったようで、
燕石の方からが出向きました。
「藤の棚 跡… 続きを読む