和布刈神社は早鞆の瀬に鎮座する神社で、
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀ります。
※天照大神の荒魂という。
仲哀天皇9年(200)の創建とされ、
神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝い、
自ら早鞆の瀬戸の和布を刈り、
神前に捧げて神護を感謝しました。
潮の満ち引きを司る海峡の守護神として、
多くの人々から崇敬を集め、
足利尊氏… 続きを読む
和布刈神社は早鞆の瀬に鎮座する神社で、
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀ります。
※天照大神の荒魂という。
仲哀天皇9年(200)の創建とされ、
神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝い、
自ら早鞆の瀬戸の和布を刈り、
神前に捧げて神護を感謝しました。
潮の満ち引きを司る海峡の守護神として、
多くの人々から崇敬を集め、
足利尊氏… 続きを読む
大蔵院は門司区田野浦にある真言宗の寺院。
縁起等はよくわかりませんが、
ここに長崎丸殉難者の招魂碑があります。
「大蔵院」。
広い墓域を持つお寺ですが、
正規の入口がよくわからずでした。
「長崎丸殉難者招魂碑」。
文久3年12月24日夜8時頃、
幕府の蒸気船長崎丸… 続きを読む
赤間関宿があったのは現在の唐戸周辺ですが、
新地会所、白石正一郎の小倉屋など、
意外と重要な史跡が集まっている下関駅西側。
現在の感覚では不便な位置のようですが、
勿論当時は下関駅はありませんし、
彦島側に伸びる大和町もありませんでした。
下関駅周辺。青い線が当時の海岸線。… 続きを読む
光明寺は延徳年間(1489-1492)に、
真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、
西市に御堂を建立した事に始まるとされ、
その後は内日、幡生へと移転して、
享保17年(1732)に現在地に移転したという。
「光明寺」。
大東亜戦争… 続きを読む
下関は幕末の重要な事件が多数発生しており、
※攘夷戦、功山寺挙兵、小倉戦争など。
幕末史跡の多い場所なのですが、
明治以降に大規模な下関要塞が建設された他、
空襲での破壊、戦後の発展などに伴い、
多くの遺構が失われています。
今回取り上げる椋野陣屋跡… 続きを読む
郡司家は大内家に仕える砲術の家系で、
大内家が滅びた後は毛利家に仕え、
砲術家五家、鋳造家二家に分れました。
鋳造家二家は防長二州の鋳物師総代を務め、
太平の世には鍋などの生活用品や、
梵鐘… 続きを読む