初番手行日誌①
コメントを残す
大坂屋は稲荷町遊郭にあった大妓楼。
当時としては高層の3街建で、
建物は対帆楼と呼ばれていたという。
この対帆楼は小高い丘の上にあった為に、
非常に目立っていたようです。
全国に知られた格式高い稲荷町遊郭で、
その最大の妓楼であった大坂屋には、
坂本龍馬、西郷隆盛、小松帯刀、
高杉晋作、… 続きを読む
教法寺は赤間町にある真宗本願寺派の寺院。
鎌倉期の元応年間(1319~1321)、
教法房浄信が海岸で木仏を見つけ、
これを安置する為に創建されました。
文久3年の下関攘夷戦では、
正規部隊である撰鋒隊が屯所としますが、
撰鋒隊は奇兵隊と対立するに至り、
同年8月16日に… 続きを読む
禁門の変で直接戦火を交えた薩長両藩。
この両藩を和睦させる為に、
筑前勤皇党(福岡藩)の月形洗蔵らや、
土佐脱藩の坂本龍馬、中岡慎太郎が奔走し、
桂小五郎と西郷隆盛の直接会談の場が、
赤間関で設けられることになります。… 続きを読む
酢の醸造を生業とした奈良屋は、
赤間関西ノ端(田中川の東側)にありました。
その店の当主入江和作は大年寄も務め、
赤間関に来訪する志士らを支援し、
特に高杉晋作を金銭面で支えています。
功山寺挙兵の際には軍資金を提供し、
四国亡命の際も逃亡資金を用意しました。
「入江和作邸… 続きを読む
笠間藩出身の儒学者加藤有隣の墓。
長州藩に招かれて明倫館教授も務めた人物。
「桜老加藤煕之墓(右2)」。
加藤有隣(桜老)と加藤家の墓。
水戸藩藩士佐藤政祥の子に生まれ、
外祖父の笠間藩藩士加藤信義… 続きを読む
高杉晋作及び福田侠平の墓の一段低い位置に、
東行庵初代庵主谷梅処の墓があります。
「雪庵梅処尼首座」。
東行庵初代庵主谷梅処の無縫塔。
出自不明ながら芸者此の糸として裏町で働き、
晋作による見受け後はうのと呼ばれました。… 続きを読む