高杉晋作」タグアーカイブ

下関市南部町 綿屋弥兵衛宅跡

禁門の変で直接戦火を交えた薩長両藩
この両藩を和睦させる為に、
筑前勤皇党(福岡藩)の月形洗蔵らや、
土佐脱藩の坂本龍馬中岡慎太郎が奔走し、
桂小五郎西郷隆盛の直接会談の場が、
赤間関で設けられることになります。… 続きを読む

下関市赤間町 奈良屋入江和作邸跡

酢の醸造を生業とした奈良屋は、
赤間関西ノ端(田中川の東側)にありました。
その店の当主入江和作大年寄も務め、
赤間関に来訪する志士らを支援し、
特に高杉晋作を金銭面で支えています。
功山寺挙兵の際には軍資金を提供し、
四国亡命の際も逃亡資金を用意しました。


入江和作邸続きを読む

東京都台東区 谷中霊園/加藤有隣墓所

笠間藩出身の儒学者加藤有隣の墓。
長州藩に招かれて明倫館教授も務めた人物。


桜老加藤煕之墓(右2)」。
加藤有隣(桜老)と加藤家の墓。
水戸藩藩士佐藤政祥の子に生まれ、
外祖父の笠間藩藩士加藤信義続きを読む

下関市吉田 東行庵/谷梅処の墓

高杉晋作及び福田侠平の墓の一段低い位置に、
東行庵初代庵主谷梅処の墓があります。


雪庵梅処尼首座」。
東行庵初代庵主谷梅処の無縫塔。
出自不明ながら芸者此の糸として裏町で働き、
晋作による見受け後はうのと呼ばれました。… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/高杉家の墓

高杉晋作福田侠平の墓の間には、
10m程度の空間があり、
充分に奥方の墓が建てられますが、
晋作の妻雅子達の累代の墓は、
晋作の墓から離れて建っています。


高杉家累代之墓」。
晋作の妻雅子、息子の東一、東一妻茂子
東一長女暢子続きを読む

晋作の剣道着姿の写真

今更なのですが、
高杉晋作として紹介される剣道着姿の写真。


前々から違うだろとは思っていましたが、
余りにもバカバカしいので、
その出所を調べる事をしてませんでした。

結論から言うとこの写真は、
1865 Satsuuma Yakoninと裏書があり、
元治元年12月4日~慶応元年11月14日の間に、
上野彦馬撮影局で撮影された薩摩役人のもの。
ちなみに本物の晋作の写真は、
元治2年2月頃の3ショットのものと、… 続きを読む

東京都品川区 御殿山

高杉晋作長州藩攘夷過激派達が、
御殿山に建設中の英国公使館に対して、
焼き打ちを行った英国公使館焼討事件
非常に有名な事件ではありますが、
事件としては死傷者のない放火事件で、
それ程のものではありません。

御殿山は太田道灌の居館のあった場所で、
徳川家康が… 続きを読む