高杉晋作」タグアーカイブ

下関市吉田 東行庵/高杉家の墓

高杉晋作福田侠平の墓の間には、
10m程度の空間があり、
充分に奥方の墓が建てられますが、
晋作の妻雅子達の累代の墓は、
晋作の墓から離れて建っています。


高杉家累代之墓」。
晋作の妻雅子、息子の東一、東一妻茂子
東一長女暢子続きを読む

晋作の剣道着姿の写真

今更なのですが、
高杉晋作として紹介される剣道着姿の写真。


前々から違うだろとは思っていましたが、
余りにもバカバカしいので、
その出所を調べる事をしてませんでした。

結論から言うとこの写真は、
1865 Satsuuma Yakoninと裏書があり、
元治元年12月4日~慶応元年11月14日の間に、
上野彦馬撮影局で撮影された薩摩役人のもの。
ちなみに本物の晋作の写真は、
元治2年2月頃の3ショットのものと、… 続きを読む

東京都品川区 御殿山

高杉晋作長州藩攘夷過激派達が、
御殿山に建設中の英国公使館に対して、
焼き打ちを行った英国公使館焼討事件
非常に有名な事件ではありますが、
事件としては死傷者のない放火事件で、
それ程のものではありません。

御殿山は太田道灌の居館のあった場所で、
徳川家康が… 続きを読む

山口県萩市 高杉晋作草庵跡地顕彰碑

過激な行動を藩に咎められた為に、
高杉晋作10年の休暇を願い出て、
に帰って隠遁生活を始めます。
周布政之助に10年早いと言われた為、
ならば10年間暇を頂く」となったようで、
これが正式に認められる事となりました。
藩からすれば過激な行動を続けさせるより、
暇を与えてでも阻止したかったようで、
それだけ経てば晋作も落ち着くであろうと、
異例の暇乞いを認めたようです。… 続きを読む

山口県萩市 吉田松陰墓所(再訪)③

//③

続いては門下生など。

東行暢夫之墓」。
高杉晋作の本墓は東行庵にありますが、
ここには胎髪臍の緒が納められています。
晋作の葬儀は慶応3年4月16日夜に、… 続きを読む

下関市今浦町周辺 竹崎浦 今浦 伊崎浦

赤間関宿があったのは現在の唐戸周辺ですが、
新地会所白石正一郎小倉屋など、
意外と重要な史跡が集まっている下関駅西側。
現在の感覚では不便な位置のようですが、
勿論当時は下関駅はありませんし、
彦島側に伸びる大和町もありませんでした。


下関駅周辺。青い線が当時の海岸線。… 続きを読む

山口県防府市 防府天満宮(再訪)

天満宮菅原道真を祀る神社。
道真の死後に雷、大火、疫病等、
平安京で天変地異が相次いで起こり、
道真に敵対した者の多くが、
清涼殿の落雷等で死亡した事から、
道真の怨霊が雷神となったと考えられ、
天神として祀られるようになったもので、
全国に約1万2000社もあるという。

防府天満宮は道真死後翌年の創建で、
日本初の天満宮である事から、
総本社の… 続きを読む