明治7年の台湾征伐や同10年の西南戦争、
更に同27年の日清戦争において、
西楽寺が負傷者の療養所となっていたという。
「西楽寺」。
彦島本村町にある時宗の寺院。
本尊の阿弥陀如来坐像… 続きを読む
「[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ
下関市彦島 十二苗祖墳墓
かつて彦島は引島と呼ばれていいました。
約800年前の保元二年(1157)1月。
保元の乱に敗れて都落ちし、
河野通次が九州へ落ちのびようと、
※この通次は河野家系図に記載なし。
関門海峡を渡っていましたが、
夕日が引島の背に落ちかかって美しく、
これに打たれて夜露をしのごうと上陸。
翌朝に家臣らと共に島内を調べると、… 続きを読む
下関市彦島 弟子待砲台跡
海軍山と呼ばれていた彦島南公園。
その公園から海岸へ下りると、
2つの遺跡が残っています。
「水雷発射基地突堤」。
日露戦争の際に露軍バルチック艦隊が、
関門海峡を通過した際に迎え撃つ為、
建造された水雷発射基地の突堤。… 続きを読む
下関市豊北町 阿川毛利家墓所(再訪)
阿川にある阿川毛利家墓所には、
6代以降の当主が葬られていますが、
下関市豊北町 阿川毛利家墓所
14代(及び16代再襲)毛利親彦の墓は、
死去が廃藩後であった為が、
歴代当主の墓所には葬られずに、
萩の椿東の山間に葬られていました。
そして今年(令和5年)の5月。
その遺骨が阿川に改葬されて、
新しい墓が建てられたとの事なので、
阿川毛利家墓所に再訪してみます。
「… 続きを読む
下関市長府 功山寺/小田南陔墓所
功山寺境内の旧長門尊攘堂への石段脇に、
儒学者小田南陔らの墓があります。
「済川先生墓(右)」「南陔先生墓(右2)」、
「嶽陽先生墓(左2)」、
「嶺雲院清菴常涼居士(左)」。
小田亨叔(済川)の墓、小田南陔(圭)の墓、… 続きを読む