[山口県(下関市除く)]」カテゴリーアーカイブ

山口県美祢市 友善塾跡

美祢市伊佐町の小さな公園がある場所に、
幕末期に[友善塾]という郷校がありました。
吉田宰判の代官となっていた玉木文之進が、
吉田松陰の叔父。
伊佐周辺に子弟が学べる機関が無かった為、
在住藩士らに郷校設立を勧奨。
これに応えた三戸久五郎高木謙蔵、… 続きを読む

山陽小野田市 蔵田幾之進墓所

長州藩攘夷期日の文久3年5月10日、
米国商船ペンブローク号を砲撃し、
関門海峡での攘夷攻撃を開始しました。
5月23日には仏国通報艦キャンシャン号を、
同26日には蘭国軍艦… 続きを読む

山口県山口市 法華寺/第三銃隊屯所跡

法華寺徳地にある真言宗寺院。
天平11年(739)に光明皇后の許しを得て、
行基が諸国に創建させた法華寺のひとつで、
長門国法華寺として豊浦村にあったもの。
明治6年に赤間関東南部町に移転し、
更に明治30年に現在地に移転しています。


法華寺」。… 続きを読む

山口県山口市 昌福寺/膺懲隊本陣跡

昌福寺徳地にある曹洞宗の寺院。
元々は福生寺という尼寺だったようで、
後に荒廃していたものを、
慶長元年(1596)に雲甫永岳和尚が再興し、
正福寺となったとされます。


昌福寺」。
正福寺は明治3年に… 続きを読む

山口県山口市 徳地宰判勘場跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、
裁判等が行われています。

徳地宰判勘場は佐波郡北部21ヶ村を支配し、
敷地は3反(900坪)あったとされます。


徳地宰判勘場跡」。
徳地宰判勘場跡は梅畑続きを読む

山口県山口市 正慶院/奇兵隊本陣跡

元治元年に禁門の変長州藩は敗れ、
幕府による第一次長州征伐が開始。
これを受けて長州藩では俗論派が台頭し、
幕府への謝罪恭順が模索されます。
奇兵隊及び膺懲隊では幕府を迎撃すべく、
三田尻続きを読む

山口県山口市 乗福寺

上田鳳陽長州藩の儒学者で、
現在の山口大学建学の祖とされる人物。
7代藩主毛利重就から13代毛利敬親まで、
鳳陽は7人の藩主に仕えており、
嘉永6年に85歳で死去しています。
山口大学の淵源は鳳陽開設の山口講堂とされ、
命日には… 続きを読む