丸山花街は寛永19年(1642)に、
長崎市中の遊女屋が集められて始まり、
昭和31年に売春防止法が公布されるまで、
遊郭街として栄えた場所。
「長崎丸山華街之跡」。
丸山花街があった事を示す標柱と説明板。
ここは花街の東端に位置する場所で、
背後の石垣は遊郭街を囲むものの名残。
「… 続きを読む
「長崎県」カテゴリーアーカイブ
長崎県南島原市 大江湊
原城跡の南側にある大江漁港。
ワカメ養殖の盛んな小さな港ですが、
江戸時代には漁業の他に、
熊本等に船を出していたようです。
「大江漁港」。
田町川河口に築港された漁港。
石垣の堤防も残っていますが、
いつの時代のものかわかりません。
嘉永3年に吉田松陰は… 続きを読む
長崎県南島原市 原城跡
吉田松陰は九州遊学の際、
原城跡を訪問しています。
原城は島原の乱の籠城戦が行われた城で、
両軍で4万の死者を出す激戦が行われ、
一揆勢の皆殺しで終結した戦いでした。
山鹿流兵学師範であった松陰は、
古戦場を見学する事で、
自らの兵学の糧にしたのでしょう。
島原天草の乱は江戸時代初期の反乱で、
キリシタン弾圧に起因した一揆で、
幕末以前で最後の本格的な内戦でした。
島原藩主松倉勝家… 続きを読む
長崎県島原市 本光寺/島原藩松平家墓所
本光寺は島原藩深溝松平家の領内菩提寺。
初代当主松平忠定は深溝に本光寺を創建し、
深溝松平家の菩提寺としましたが、
転封によって所領は数度変わっており、
歴代藩主の遺骸は所領や江戸から運ばれ、
深溝に本光寺に埋葬されました。
深溝松平家が島原藩に移封後、
初代藩主松平忠房が生母の菩提を弔う為、
当地にあった禅林寺を… 続きを読む
島原の郷土菓子「かんざらし」
島原半島は農耕地は多いものの、
土地は水捌けが良く大きな川もない為、
稲作には適しない土地柄でした。
この為に僅かに作られた米は、
殆ど年貢として納められたので、
まともな米を農民が口にする事が出来ず、
くず米しか手元に残らなかったという。
農民らはそのくず米を磨り潰し、
粉にしてこれを固めて食べていましたが、
夏は虫が付いたり腐ったりする為、
団子にして水に浸けて保存しています。… 続きを読む
長崎県東彼杵郡 平五郎どん霊所
彼杵宿跡を訪問した際、
道の駅 彼杵の荘の駐車場を利用。
ついでに昼食とお土産も買いました。
「道の駅 彼杵の荘」。
東そのぎICを降りてすぐの場所にある道の駅。
ETC2.0があれば一時退出/進入もできます。
訪問時は工事中のようで、
新しい建物が建てられている途中でした。
昼食はくじらの炊込みご飯だご汁セット。
彼杵は江戸期に… 続きを読む
長崎県東彼杵郡 彼杵宿跡
彼杵宿は長崎街道の宿場町で、
嬉野宿との間には難所俵坂峠が控えており、
※佐賀藩領と大村藩領の藩境。
平戸往還との追分でもあった他、
彼杵湊からの海路も整っていた事から、
大変に栄えた宿場町でした。… 続きを読む
