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つづき。
「寛長院殿前筑刕太守徳山日廣大居士」。
5代藩主(17代当主)大村純伊の墓。
4代大村純長の次男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
治世では凶作や捕鯨の不振が重なり、
藩財政が逼迫していた為、
新田開発や年貢の増徴を行ったり、
家臣団をリストラしたりしていますが、
幕府普請などで好転することはなく、… 続きを読む
松平定良は淀藩当時の松平定綱の次男で、
定綱が大垣藩を経て桑名藩に移った後、
その死去に伴い桑名藩藩主となります。
定良は聡明で信望も厚かったようですが、
生来体が弱くて病気がちだった為、
度々有馬温泉に療養に出かけたという。
そして湯治からの帰路の… 続きを読む
松前護國神社を訪問後、
松前観光協会の方と法華寺へ。
法華寺は松前城攻防戦で、
土方歳三ら旧幕府軍が陣を張り、
墓地の墓石を退かせて砲台を設置し、
松前城へ砲撃した場所。
また旧幕府軍の墓などもあります。
「… 続きを読む
顕本寺には幕末桑名藩士の墓が多く、
リサーチ不足で網羅は出来ませんが、
一部の幕末藩士の墓を紹介します。
「西郷朝秋之墓」。
元桑名藩士西郷朝秋の墓。
西南戦争で私学校攻撃に参加しますが、
負傷して離脱。戦病死しています。
「道源院無外日信居士」。
神風隊玉井五郎兵衛… 続きを読む