苦の坂は西国街道の難所のひとつ。
小方町小方周辺。緑の線が街道筋。
木野側に四町九間(4513m)の急坂があり、
防州側に対する防備に適していました
慶応2年6月13日。
長州征討軍先鋒の彦根藩兵と与板藩兵は、
岩国領との国境である大竹村に布陣。… 続きを読む
広島県大竹市 長州の役戦跡 苦の坂
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苦の坂は西国街道の難所のひとつ。
小方町小方周辺。緑の線が街道筋。
木野側に四町九間(4513m)の急坂があり、
防州側に対する防備に適していました
慶応2年6月13日。
長州征討軍先鋒の彦根藩兵と与板藩兵は、
岩国領との国境である大竹村に布陣。… 続きを読む
大野村にある名滝「妹背の滝」。
そこから西教寺までは「滝の下」と呼ばれ、
芸州戦争の激戦地となった場所でした。
そこに戦死した幕軍を埋葬した塚があります。
※山陽自動車道大野ICから100m程の場所。
「長州戦争史跡 千人塚」。
千人塚という名称ですが、
千人も埋められている訳ではありません。… 続きを読む
西国街道の難所廿日市市の四十八坂。
当時の主要道路のはずなのですが、
まるでけもの道のようです。
「西国街道(四十八坂)」。
確かに難所。
本当に大名行列か通ったのかなと思う程。
当時はもっと人の往来も多くて、
もうすこしマシだったのかもしれませんが、
それほど劇的に違うとは思えませんので、… 続きを読む
長州征伐で幕軍の総督府が置かれた国泰寺。
長州藩の三家老の首実験が行われ、
政事戦の舞台となった場所でした。
残念ながら原爆によって焼失してしまい、
国泰寺は市街の北西に位置する己斐に移転。
現在の跡地は開発が進んで面影はありません。… 続きを読む
広島城は広島(芸州)藩の藩庁ですが、
実は原爆により破壊された唯一の城塞です。
明治7年に火災で本丸御殿は焼失したものの、
天守や一部櫓などは残されており、
昭和6年に天守が国宝… 続きを読む