美玉三平も寺田屋騒動の関係者ですが、
後に生野の変に参加して敗死しています。
「美玉三平之墓」。
薩摩藩士美玉三平の墓。
美玉の本名は高橋裕次郎親輔といい、
兵学に通じた人物であったという。
清河八郎と知り合って[虎尾の会]に加入し、
行動を共にして… 続きを読む
鹿児島県鹿児島市 南林寺由緒墓/美玉三平墓
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美玉三平も寺田屋騒動の関係者ですが、
後に生野の変に参加して敗死しています。
「美玉三平之墓」。
薩摩藩士美玉三平の墓。
美玉の本名は高橋裕次郎親輔といい、
兵学に通じた人物であったという。
清河八郎と知り合って[虎尾の会]に加入し、
行動を共にして… 続きを読む
市営桑ノ山墓地の野村望東尼の墓の周辺には、
三田尻で死去した志士らの墓もあります。
「福岡縣士族結城澹三郎墓(右)」、
「木原亀之進多々良弘幸(左)」。
福岡藩士仙田淡三郎の墓と、
奇兵隊士木原亀之進の墓。
結城澹三郎は仙田淡三郎の変名で、… 続きを読む
妙恵会総墓所にある水戸藩士関口泰次郎の墓。
「関口泰次郎之墓」。
水戸藩士関口泰次郎の墓。
嘉永元年生まれの水戸藩士で、
京都にて尊皇攘夷運動に奔走しますが、
八月十八日の政変に敗れた七卿を護衛し、
彼らと共に長州に入ります。
澤宣嘉… 続きを読む
文久3年の生野の変に敗れた澤宣嘉は、
田岡俊三郎、森源蔵、高橋甲太郎と脱出。
追手から逃れる為に讃岐や伊予に潜伏し、
その後に長州に渡りました。
長州では阿武郡… 続きを読む
下関中央霊園の白石家之墓の傍らに、
白石廉太郎なる人物の墓石があります。
「白石廉太郎墓」。
廉太郎という名が気になり調べてみると、
なんと白石廉作の忘れ形見でした。
廉作は白石正一郎の末弟で、
兄の影響からか尊攘運動に参加し、
奇兵隊… 続きを読む
奇兵隊顕彰墓地にある白石廉作の墓碑。
白石廉作は白石正一郎の弟(六男)で、
恒遠醒窓の漢学私塾蔵春園に学び、
文を能くし筆札に巧みであったという。
兄を手伝って薩摩藩等との貿易に奔走し、
その過程で尊攘志士らと親交したようで、
奇兵隊が設立されると兄と共に入隊します。
平野国臣とは何度も会っており、… 続きを読む
延応寺は生野にある真言宗の寺院です。
弘法大師が各地を巡錫する途中、
生野高原にある達磨ヶ峰に堂を建て、
自ら彫った千手観音を安置。
後の延応元年(1239)にその堂が炎上し、
その中から千手観音が舞い上がり、
ケヤキの巨木の梢にとまって、
毎夜光を発したという。
これを諸国行脚中の長遍上人が見て、… 続きを読む