鳥羽伏見の戦い」タグアーカイブ

酒井孫八郎日記(1月)⑤

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つづき。

23日
晴。今晩夜六時(午後6時頃)頃に桑名へ帰り、
直接登城する。
昼頃に城を一旦引き取り再び登城。
今日五時(午前10時頃)御供揃えにて、
萬之助様の儀は昨日の通達に従い、… 続きを読む

酒井孫八郎日記(1月)③

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つづき。

13日
晴。定刻通りに登城し、夜中に退城した。
山本君の御不幸があった為に伯父半蔵が、
※この山本君の伯父半蔵とは、
 半蔵家先代の服部半蔵正綏と思われますが、
 そもそも
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酒井孫八郎日記(1月)②

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つづき。

8日
今暁は雪から晴。明け六ツ(午前6時頃)過ぎ、
一旦退出してから定刻に登城。
弁当持参で夜まで勤務していると、
御用人よりが遣わされ有難く頂戴し、
同僚らとお礼を申し上げた。… 続きを読む

京都府京都市 鳥羽伏見防長殉難士墓所

85代仲恭天皇九条陵の手前に、
長州藩将兵の墓所があります。


鳥羽伏見防長殉難士墓所」。
この場所を墓地としたのは、
長州藩が本陣とした東福寺に近い為。
現在の墓碑が建立されたのは、
明治33年の33回忌だったとのこと。
被葬者は以下48名ですが、
鳥羽伏見の戦い以外の死者も含まれます。
 藤村英次郎続きを読む

京都府京都市 伏見宿跡①

①/

伏見奈良時代より街道が整備され、
水運も発達した交通の要所でした。
平安時代には景勝地であった為、
貴族の別荘地となっており、
近世には豊臣秀吉伏見城を築城。
江戸時代には初の銀座が設置され、… 続きを読む