東寺は東寺真言宗の総本山。
真言宗は弘法大師(空海)により開かれ、
金剛峯寺を修禅の道場として開創。
後に嵯峨天皇より勅賜された東寺を、
その根本道場としています。
寺の管理者である長者(東寺長者)は、
真言宗の最高位としての権威を持ち、… 続きを読む
「鳥羽伏見の戦い」タグアーカイブ
京都府京都市 不動堂村屯所跡
新選組は西本願寺より不動堂村に移転。
隊士吉村貫一郎が西本願寺側と交渉し、
諸経費全てを西本願寺が負担しています。
新しい屯所は1万平方メートルの広さに、
表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、
幹部居間、平隊士部屋、客間、馬屋、
物見中間と小者部屋、
30人が入れる大風呂など、
その規模は大名屋敷並みであったという。
残念ながら間取りなどは判っておらず、
このような感じであったとしかわからない。… 続きを読む
京都府京都市 東福寺
東福寺は臨済宗東福寺派の大本山で、
鎌倉時代の摂政九条道家により建立され、
宗より帰国した円爾が開山した大寺院。
火災や兵火で幾度も伽羅を焼失しますが、
その度に復興されており、
今もなお25の塔頭を持つ大寺院で、
国宝を含む多くの文化財を有しています。
鳥羽伏見の戦いでは… 続きを読む
京都府京都市 黒谷会津藩殉難者墓地
金戒光明寺周辺の巨大な墓地を通り、
塔頭である西雲院へ。
「西雲院」。
朝鮮出兵の際に連れてこられた青年宗厳は、
滝川雄利の娘の使用人として働きますが、
娘は17歳の若さで病死してしまいます。
人生の無常を感じた宗厳は黒谷で出家。
諸国を巡る修行に出た後に黒谷に戻り、
金戒光明寺第27世… 続きを読む
三重県津市 津城跡
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戦国時代以前の「津」は安濃津と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。
信長が本能寺の変… 続きを読む