鳥羽伏見の戦い」タグアーカイブ

三重県津市 津城跡

戦国時代以前の「」は安濃津と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は、長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家支配下となり、
安濃津城には織田信包が入りました。

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大坂城開城と地雷火の爆発

江戸城無血開城っていうけれど、
徳川慶喜が敵前逃亡した大坂城の場合、
無血開城っていいませんよね。

慶喜の逃亡を知った旧幕府軍は、
大坂城から退去したわけですが、
血が流れなかったかといえばそうでない。
大坂城退去の際、放火して自刃した旧幕軍兵がいたようで、
その遺体は大坂城外に葬られて現在も碑が残っています。
(記事はこちら

まあそうして大阪城は開城されたわけですが、
新政府軍は入城せずに大坂城を取り囲んだまま。
そして大坂城下に… 続きを読む

京都府京都市 淀城跡

宇治川桂川に挟まれた中洲で、
東海道の宿場町としても栄えた交通の要所でした。

現在の淀城跡より北500mの場所に旧淀城があり、
正確な築城年数はわかっていませんが、
その要所ゆえに応仁の乱から戦国時代に掛け、
幾多の武将が攻防を繰り広げ、
山崎の戦いでも… 続きを読む

京都府京都市 伏見奉行所跡

伏見奉行所跡を訪問しようと、
JR京都駅から電車で向かいます。
このあたりは数種の電鉄が通っていますので、
どれで行ってもさほど変わりないのですが、
とりあえず一番近い近鉄京都線に乗り、
桃山御稜前駅で下車しました。


京都市伏見区桃山周辺(伏見奉行所跡の場所)
伏見は平安時代より貴族の別荘地として好まれ、
豊臣秀吉伏見桃山城を築いて以降は、
城下町としても栄えています。
江戸時代に入ると、伏見桃山城は解体され、
伏見奉行所が置かれるとともに、
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山口県山口市 錦の御旗製作所跡

慶応4年正月の鳥羽伏見の戦いにおいて、
薩摩藩本営東寺に錦旗が揚げられます。
これにより幕府方の諸藩は朝敵となる事を恐れ、
退却や寝返りが多発。
鳥羽伏見の戦いは、新政府軍の勝利に終わりました。

もともと「錦の御旗」は、朝敵討伐の証として、
天皇が官軍の大将に与える旗ですが、
天皇がその御旗を所持していて、
実際にその大将に与えるわけではなく、
勅命を受けた大将が… 続きを読む