薩摩街道の宿場八代宿は八代城下にあり、
古来より九州の対外貿易港として栄え、
みかんが大陸より伝来した地とされます。
建武の新政の功臣名和長年の子名和義高は、
八代荘の地頭に任命されて古麓城を築城。… 続きを読む
熊本県八代市 八代宿跡
コメントを残す
薩摩街道の宿場八代宿は八代城下にあり、
古来より九州の対外貿易港として栄え、
みかんが大陸より伝来した地とされます。
建武の新政の功臣名和長年の子名和義高は、
八代荘の地頭に任命されて古麓城を築城。… 続きを読む
春光寺は八代市古麓町にある臨済宗の寺院。
熊本藩筆頭家老松井興長が八代城に入城し、
以後は松井家が城主となっていますが、
松井家は北の丸の泰勝院を宗雲寺と改称し、
松井家の菩提寺としていました。
その後に… 続きを読む
松井神社境内の北側は八代市立第一中学校。
織田信長の菩提所泰巌寺があった場所で、
明治期に廃寺となっていますが、
信長の供養塔が残されています。
「織田信長の五輪塔」。
第一中学校の敷地内ですが、
訪問時は先生達が校門を掃除しており、
先生に案内して頂きました。
忠興の妻ガラシャは明智光秀… 続きを読む
江戸初期の加藤家熊本藩(52万石)では、
一国一城令の例外として麦島城が認められ、
支城として城代が置かれていましたが、
元和5年(1619)の大地震により崩壊。
この為に2代加藤忠広は幕府の許可を得て、
球磨川の徳淵… 続きを読む
南関御茶屋跡の駐車場より南関城跡へ。
「南関城の登城口」。
南関城は加藤清正の家臣加藤正次により、
慶長5年(1600)に築城が開始され、
慶長9年(1604)に完成したという。
縄張りは清正自らが担当し、
正次が城代を務めていたようです。
城は一国一城令によって失われており、… 続きを読む
南関宿は筑後国と肥後国の国境で、
関所や御番所が置かれた他に、
熊本藩の御茶屋が設置されており、
領内巡視や参勤交代の宿所となりました。
南関町関町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが南関宿跡。… 続きを読む
永国寺は相良家9代当主相良前続が、
実底超真和尚を開山に迎えて創建。
領主相良家により代々保護されました。
幽霊寺として全国的に有名な寺で、
超真和尚が描いた幽霊掛軸が残っており、
毎年8月に幽霊まつりが行われるようです。
「永国寺」。… 続きを読む