天授庵にある梁川星巌と梁川紅蘭の墓所。
星巌は美濃国曽根村の郷士稲津家の子で、
山本北山の奚疑塾で儒学と詩文を学び、
江戸に遊学して市河寛斎… 続きを読む
京都府京都市 天授庵/梁川星巌墓所
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天授庵にある梁川星巌と梁川紅蘭の墓所。
星巌は美濃国曽根村の郷士稲津家の子で、
山本北山の奚疑塾で儒学と詩文を学び、
江戸に遊学して市河寛斎… 続きを読む
天授庵にある横井小楠の墓所。
小楠は熊本藩士横井時直の次男に生まれ、
藩校時習館に学びました。
江戸に遊学して全国の諸士と交わりますが、
他藩士と喧嘩した事を咎められ、
帰国を命じられ逼塞処分となっており、
この間に朱子学を研究。
自宅で私塾小楠堂を開き、… 続きを読む
天授庵は南禅寺の塔頭で、
南禅寺15世虎関師錬によって、
開山無関普門の塔所として開山されました。
南禅寺は火災や戦火で何度も失われ、
天授庵も喪失しています。
後に細川藤孝によって再興され、
細川家の菩提寺となりました。
「通用門… 続きを読む
京都府立図書館の敷地に、
吉田松陰の詩碑が建てられています。
「吉田松陰拝闕詩碑」。
明治41年の松陰五十回忌を記念し、
京都府教育会が建立した詩碑。
松陰が江戸から長崎へ赴く途中、
御所を拝した時の事を詠んだ漢詩です。
山河襟帯自然城東来無不日憶
神京今朝盥嗽拝鳳闕野人悲泣不能行
上林零落非復昔空有山河無変更聞説… 続きを読む
三条大橋は鴨川に架かる三条通りの橋で、
東海道の終点となっていました。
「三条大橋」。
最初に架けられたのは室町時代とされ、
後に豊臣秀吉によって石柱の橋に改修。
江戸時代… 続きを読む
東寺は東寺真言宗の総本山。
真言宗は弘法大師(空海)により開かれ、
金剛峯寺を修禅の道場として開創。
後に嵯峨天皇より勅賜された東寺を、
その根本道場としています。
寺の管理者である長者(東寺長者)は、
真言宗の最高位としての権威を持ち、… 続きを読む
西国街道の起点ははっきりされておらず、
一応は東寺前や羅城門跡とされています。
他の街道は橋や追分等の目印があり、
非常に分かり易いのですが、
九条通りから伸びて始まる為に、
ここからスタートというようなものは、
明確にはありません。
「東寺」。… 続きを読む