西南戦争」タグアーカイブ

熊本県玉名市 高瀬船着場跡

熊本藩年貢米を管理する米蔵を、
高瀬川尻八代の3ヶ所に置いていました。
文化年間(1804-1818)に熊本から、
大坂に贈られた米の量は最大40万俵とされ、
そのうちの約半数が高瀬から送られたという。
この為にその米の品質続きを読む

熊本県玉名市 高瀬官軍墓地

明治10年2月下旬より高瀬から田原坂付近で、
西郷軍政府軍との間で激しい戦闘が行われ、
両軍に多くの死傷者が出ています。
この戦いで数千人の戦死者を出した政府軍は、
熊本県内21ヶ所に官軍墓地を設置しており、
高瀬にもその官軍墓地が建てられました。
この墓地には田原坂の戦い吉次峠の戦い続きを読む

鹿児島県指宿市 正龍寺跡

正龍寺は指宿市山川にあった臨済宗寺院で、
廃仏毀釈廃寺となっています。
薩南学派の学問寺として栄えていたようで、
近世日本朱子学の祖藤原惺窩が、
明への渡航をする際に正龍寺に滞在し、
所蔵されていた大学章句を読み、
渡航を中止したとされる程の寺院でした。


旧正龍寺跡墓石群続きを読む

鹿児島県鹿児島市 西郷家墓地

西郷家の墓所は南林寺にあったようで、
南林寺が廃仏毀釈で廃寺となった為、
墓地だけがその跡地に残っていましたが、
大正期の都市計画によって移転が決まり、
現在地に23基の墓石が改葬されました。
当時永野金山鉱業館長を務め、
薬師町に引っ越していた西郷菊次郎が、
移転に大きく関わったとされています。… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 陸軍火薬庫跡

草牟田墓地にある陸軍火薬庫跡の碑。
薩摩藩は廃寺となった隆盛院跡に、
弾薬庫を設置していましたが、
廃藩置県に伴い陸軍に移管されています。
後の明治10年1月29日に明治政府は、
鹿児島士族の不穏な動きを察知。
県の… 続きを読む

宮崎県延岡市 今山八幡宮/延岡隊招魂碑

今山八幡宮は天平勝宝2年(750)に、
宇佐八幡宮(宇佐神宮)より勧請され創建。
土持家高橋家有馬家三浦家
牧野家内藤家と歴代領主がら崇敬され、
社領を与えられていました。


今山八幡宮」。… 続きを読む

宮崎県延岡市 山縣有朋中将陣頭指揮の地

西郷軍は8月15日早朝に和田越えに布陣し、
初めて自ら陣頭に立って指揮を行い、
北上する政府軍を迎え討ちますが、
対する政府軍参軍山県有朋中将も、
樫山山頂に陣を置いて全軍を指揮しました。
和田越決戦はまさに両陣営の総大将が、
直接激突した決戦となっています。


山縣有朋中将陣頭指揮の地」。
樫山町交差点続きを読む