井上馨」タグアーカイブ

山口県山口市 小郡宰判勘場跡/御茶屋跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。


小郡宰判勘場跡/御茶屋跡」。
小郡宰判勘場には御茶屋が併設され、… 続きを読む

下関市吉田 東行庵の手栽の碑

晴天の休みの日。
色々と史跡を訪問したりしたいのですが、
先立つものが無ければ遠くに行けない。
そこで久々に東行庵に行ってみました。


東行庵」。
東行庵はいつも季節の花々が咲いています。


東行池には錦鯉が泳いでいますので、
子供達も退屈じゃない。


高杉晋作像」。
久々ですがまだまだピカピカですね。
変な言い方ですが、
早く劣化しないかなって思う。… 続きを読む

山口県防府市 富海宿と船蔵

富海は長州藩領の小さな漁村でしたが、
船便での上方の玄関となっており、
また西国街道宿場町となって栄え、
多くの人々が行き交いました。


青でぼかした辺りが富海宿跡
緑の線が西国街道の街道筋。
ここが上方への玄関と云われる所以は、
富海が飛船と呼ばれる客船の拠点で、
ここからの海路が一番早かったから。
長州志士はここから上方を目指し、
他国からの志士もここに上陸しています。… 続きを読む

高杉晋作顕彰碑物語⑧/井上馨の演説5

井上の演説はもう少し続きます。
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この和議の時、最も困難なる問題は償金一
件であったが、高杉君は、長州が攘夷をした
のは、決して一己の意見でしたことではな続きを読む

高杉晋作顕彰碑物語⑦/井上馨の演説4

まだまだまだ井上の演説は続きます。
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かように下関は遂に開戦となったものであ
るから、前田も帰り、私もその跡を追うて山
口へ帰りまして、両君公に拝謁して、馬関は続きを読む