元治元年9月25日。
井上聞多は山口政事堂からの帰路に、
湯田温泉袖解橋付近で刺客に襲われ、
瀕死の重傷を負いました。
一命を取り留めた井上は翌年、
外国人御用掛に任命されていますが、
下関開港に反発する攘夷派に狙われ、
別府へ湯治を兼ねて逃亡しています。
「旅館若彦跡(ソルパセオ銀座入口辺り)」。
旅館若彦… 続きを読む
「井上馨」タグアーカイブ
大分県別府市 鉄輪温泉
鉄輪温泉は別府八湯の一つ。
日本最大の湧出量を誇る別府の中で、
その源泉の大半が鉄輪に集中しています。
建治2年(1276)に一遍上人が行脚の途上、
鉄輪を訪れた際に猛り狂う地獄地帯を鎮め、
湯治場を開いたのが始まり。
「いでゆ坂」。
長く続く石畳の鉄輪のメインストリート。
湯治場の面影を色濃く残しています。
「鉄輪むし湯… 続きを読む
東京都品川区 御殿山
高杉晋作ら長州藩攘夷過激派達が、
御殿山に建設中の英国公使館に対して、
焼き打ちを行った英国公使館焼討事件。
非常に有名な事件ではありますが、
事件としては死傷者のない放火事件で、
それ程のものではありません。
御殿山は太田道灌の居館のあった場所で、
徳川家康が… 続きを読む
東京都港区 長谷寺/井上馨墓所
長谷寺は西麻布にある曹洞宗の寺院。
牛久藩初代山口重政が創建し、
門庵宗関を開山に迎えています。
駒込の吉祥寺、三田の功運寺と共に、
曹洞宗の檀林所であったとされ、
後に永平寺… 続きを読む
山口県山口市 小郡宰判勘場跡/御茶屋跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「小郡宰判勘場跡/御茶屋跡」。
小郡宰判勘場には御茶屋が併設され、… 続きを読む
下関市吉田 東行庵の手栽の碑
晴天の休みの日。
色々と史跡を訪問したりしたいのですが、
先立つものが無ければ遠くに行けない。
そこで久々に東行庵に行ってみました。
「東行庵」。
東行庵はいつも季節の花々が咲いています。
東行池には錦鯉が泳いでいますので、
子供達も退屈じゃない。
「高杉晋作像」。
久々ですがまだまだピカピカですね。
変な言い方ですが、
早く劣化しないかなって思う。… 続きを読む
山口県防府市 富海宿跡
富海は長州藩領の小さな漁村でしたが、
船便での上方の玄関となっており、
また西国街道の宿場町となって栄え、
多くの人々が行き交いました。
青でぼかした辺りが富海宿跡。
緑の線が西国街道の街道筋。
ここが上方への玄関と云われる所以は、
富海が飛船と呼ばれる客船の拠点で、
ここからの海路が一番早かったから。
長州志士はここから上方を目指し、
他国からの志士もここに上陸しています。… 続きを読む